「天の王国」は、マタイによる福音書でもっぱら使われている言葉であり、天の王国が、他の三つの福音書で使われている神の王国とは違うことを示しています(参照、30―31ページの図表)。神の王国は、永遠の過去から永遠の未来にわたる神の支配を一般的に言っています。それは、この世の基の置かれる前の、初めのない永遠から、選ばれた父祖たち(アダムのパラダイスを含む)、旧約におけるイスラエルの国、新約の召会、来たるべき千年王国(天の部分である天の王国の出現と、地上の部分であるメシヤ王国を含む)、終わりのない永遠にわたる新エルサレムを伴う新天新地を含みます。天の王国は、神の王国の中の限られた部分であり、今日の召会と来たるべき千年王国の天の部分だけを含みます。ですから天の王国は、神の王国の一部分として、新約の中で、特に他の三つの福音書で、「神の王国」とも呼ばれています。神の王国は全般的で、旧約においてイスラエルの民と共にすでに存在していました(21:43)。それに対して、天の王国は、特定の範囲を指しており、旧約の時代にはまだ来ておらず、バプテスマのヨハネが来た時も、近づいていたにすぎませんでした(3:1―2.11:11―12)。 マタイによる福音書によれば、天の王国に関して、その実際、外観、出現の三つの面があります。天の王国の実際は、その天的で霊的な性質における、天の王国の内容です。これは、第5章から第7章で、新しい王によって山の上で啓示されています。天の王国の外観は、名目上の天の王国の状態で、第13章で王によって海辺で啓示されています。天の王国の出現は、天の王国が力をもって実際に到来することで、第24章から第25章で、王によってオリブ山で啓示されています。天の王国の実際と外観は、今日の召会にあります。天の王国の実際は、正当な召会生活です(ローマ14:17)。それは、キリスト教世界として知られる、天の王国の外観の部分に存在します。天の王国の出現は、第13章43節で父の王国と呼ばれている、来たるべき千年王国の天の部分です。千年王国の地上の部分はメシヤ王国です。このメシヤ王国は、第13章41節で人の子の王国と呼ばれており、修復したダビデの幕屋、ダビデ王国です(使徒15:16)。千年王国の天の部分は、力をもって現れる天の王国です。そこで勝利を得た信者たちは、千年の間キリストと共に支配します(啓20:4、6)。千年王国の地上の部分は、地上のメシヤ王国です。そこではイスラエルの救われたレムナント(残された者)は祭司となって、諸国民に神を礼拝することを教えます(ゼカリヤ8:20―23)。 わたしたちが霊の中で貧しくあれば、天の王国はわたしたちのものです。すなわち、霊の中で貧しくあれば、わたしたちは今日、召会時代において、その実際の中にいることができ、王国時代において、その出現にあずかることができます。
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