ここの光を放つともし火は、奴隷―救い主の福音の奉仕が、彼の仕えた人々の中に命をまくだけでなく、彼らに光をもたらすことを示しています。ですから、そのような神聖な奉仕の結果、信者たちは発光体となり(ピリピ2:15)、召会は燭台となって(啓1:20)、彼の証しとしてこの暗い時代に輝き、最終的に、その際立った特徴が命と光である新エルサレムとして完成するのです(啓22:1―2.21:11,23―24)。