ここの「あの聖なるもの」のギリシャ語は、複数形です。同じギリシャ語が次の節では「聖なる者」に使われていますが、こちらは単数形です。しかしながら、それは「聖」に対して通常使われている言葉ではありません。これは、ヘブル語の「ケセド(chesed)」という言葉のギリシャ語の等値語です。ケセドはイザヤ書第55章3節(イザヤ55:3)でキング・ジェームズ訳が、歴代志下第6章42節(歴代上6:42)、詩篇第89篇1節(詩89:1)で、七十人訳もキング・ジェームズ訳も「あわれみ」と訳しています。詩篇第89篇1節(詩89:1)の「あわれみ」(複数)と、19節(19節)の「聖なる者」(単数)は同じ言葉です。この聖なる者はキリスト、ダビデの子です。この方に神のあわれみが集中し、伝達されています。ですから、「ダビデのあの聖なるもの、信実なもの」は、復活したキリストのことを言っています。これは文脈によって、特に次の節の「あなたの聖なる者」によって、またイザヤ書第55章3節(イザヤ55:3)に続く節によって、十分に証明されます。
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