パウロとバルナバと他の何人かがエルサレムに上ったのは、彼ら自身の個人の動きではなく、召会の動きでした。彼らは召会を離れて、個人的に行動したのではなく、団体的に召会の中で、召会と共に行動しました。これは、キリストのからだの動きでした。