地位的にだけでなく、性質的にも(ローマ6:19とノート2、22)。地位的に聖別されることは、地位と用途において変化するだけです。性質的に聖別されることは、神の聖なる性質によって、またそれをもって、性質において造り変えられることです(IIコリント3:18)。聖別されるとは、わたしたちの今日の享受のために、わたしたちの所有である神で浸透されることです。わたしたちの聖別は、神聖な命の円熟において完成するでしょう。それは、わたしたちが神に似る者となり、来たるべき時代に、また永遠にわたって、彼をわたしたちの嗣業として完全に所有し、享受するよう資格づけられるためです。
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