神の王国は、本書の強調点の一つです。ルカのこの文書は、神の王国で始まり(1:3)、神の王国で終わります。 実際には、この書はここで終わってはいません。むしろ、それは開かれたままであり、追加されるのを待っているのです。その理由は、聖霊がキリストの信者たちを通して、キリストを宣べ伝え、彼を増殖し、拡増し、普及させる働きが、まだ完成されておらず、長期間にわたる継続が必要であったからに違いありません。キリストを増殖し、拡増し、普及させるそのような福音の働きは、神の新約エコノミーにしたがったものです。それは、神のために多くの子供たちを生み出し(ローマ8:29)、彼らがキリストの肢体となって、彼のからだを構成し(ローマ12:5)、神の永遠のご計画を遂行し、彼の永遠のみこころを成し遂げることです。このことは、本書に続く二十一の書簡と啓示録で、詳細に啓示されています。キリストの増殖と拡増によって生み出された召会は、神が表現され、神がキリストにおいて統治される領域です。ですから、召会は神の王国となります。神の王国は、神の命から出て、キリストの増殖と拡増に伴って成長し、普及していきます。使徒行伝は、キリストが普及していく記録です。それはまた、神の王国の記録でもあります。なぜなら、神の王国はキリストの拡大であるからです。本書で広範囲にわたって宣べ伝えられた福音は、福音としてのキリストご自身(5:42)、すなわちキリストの福音であり、また福音としての神の王国(8:12)、すなわち神の王国の福音でもあります。そのような福音を宣べ伝えることは、全地がキリストの王国となるまで(啓11:15)、継続し前進するでしょう。 四福音書で、神は、受肉し、人の生活を経過し、死に、復活した、三一の神の化身であるキリストを完成されました(コロサイ2:9)。使徒行伝では、この神の化身である方が、命を与える霊として(Iコリント15:45)、キリストを彼の信者たちの中に拡大させられます。すなわち、手順を経た三一の神を、神に選ばれ、贖われ、造り変えられた人人の中へ造り込んで、彼らを、神が表現される召会の構成要素とします。召会の最終結果は、永遠の未来における新エルサレムであり、神の全き、永遠の表現です。それは、神の永遠の王国でもあり、神が永遠にあって、彼の神聖な命の中で、永遠にわたって統治する領域です。これが、今日すべての福音の宣べ伝えの実際と目標であるべきです。
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