あるいは、イエス・キリストにある信仰。この信仰は、わたしたちの中にあるイエス・キリストの信仰を言います。それは、わたしたちが彼を信じる信仰となりました(26節.ガラテヤ2:16,20.3:22.エペソ3:12.ピリピ3:9)。 信仰には対象があり、信仰はその対象から出てきます。この対象は、受肉した神であるイエスです。人が彼に聞き、彼を知り、彼を評価し、彼を尊ぶ時、彼は人の内側に信仰を生じさせて、人が彼を信じることができるようにされます。こうして、彼が人の中で、彼を信じる信仰となられるのです。ですから、この信仰は彼にある信仰となり、彼に属する信仰でもあります。 神の新約エコノミーの中で、神は人が、受肉した神であるイエスを信じることを願われます。もし人が彼を信じないのでしたら、神の前に唯一の罪を犯します(ヨハネ16:9)。しかしながら、もし人が彼を信じるのでしたら、神の前に極みまで義となり、神はこの信仰をその人の義と認められます。同時に、この信仰はその対象、すなわち、神が受肉した方を、彼を信じる者たちの中にもたらされます。彼は神の義であり、神は義としての彼を、彼が内住している者たちに与えられました(エレミヤ23:6)。これはすべて、彼にある信仰、彼の信仰からであり、それに基づいています(ヘブル12:2)。
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