ローマ  3章25節
3:25 はこのキリスト・イエス1立てて、2なだめの場所とされました.それはの血により、信仰を通してであって、の義を明らかに示すためです.すなわち、人が以前に犯した罪を、は忍耐をもって3見過ごされましたが、
3章25節 フットノート2

なだめの場所は、出エジプト記第25章17節(出25:17)で、契約の箱の上の、罪を覆うふたで予表されています。契約の箱は、神が民と会われる場所でした。箱の中には、十戒の律法がありました。それは、その聖と義の要求によって、神に触れるために来た民の罪を暴露し、罪定めしました。ところが、なだめの日に、箱のふたの上になだめの血が振りかけられることによって、罪人の側の状態がすべて、完全に覆われました。ですから、罪を覆うこのふたの上で、神は彼の義の律法を破った民と会うことができました。神はこれを、行政上、彼の義に何の矛盾もなく、神の栄光を担い、その箱のふたを覆っていたケルビムが見つめている下でさえ、行なうことができました。こうして、人と神との間の問題はなだめられました。神は人を赦し、人に対してあわれみ深くあり、それによって、神の恵みを人に与えることができるようになったのです。これは、キリストが神の小羊として、人が神に対して問題を引き起こす罪を取り除き(ヨハネ1:29)、こうして神の聖、義、栄光の要求すべてを満たし、人と神との間の関係をなだめることの予表です。こういうわけで、人がかつて引き起こした罪を、神は見過ごすことができたのです。神は彼の義を明らかに示すために、これを行なわなければなりませんでした。これが、この節で言っていることです。
 契約の箱のふたは、ヘブル語ではカポレス(kapporeth)で、その元の意味は「覆う」です。七十人訳では、この言葉をヒラステリオン(hilasterion)と訳しており、これは「なだめの場所」を意味します「「なだめ」は赦し、あわれむことを暗示します―「なだめの」(ヘブル8:12)と訳された言葉は、ヒラステリオンの語根で、「なだめられた」(ルカ18:13)と訳された言葉は、この語根から派生したものです」。キング・ジェームズ訳は、「あわれみの座」(mercy seat)という訳を採用し、神が人にあわれみを与える場所のことを言っています。パウロはヘブル人への手紙第9章5節(ヘブル9:5)でも、契約の箱のふたを言うのに「ヒラステリオン」という言葉を用いています。ローマ人への手紙第3章25節(ローマ3:25)でも同じ言葉、「ヒラステリオン」が使われていて、契約の箱のふたが、神によって立てられたなだめの場所としてのキリストを象徴することを示しています。
 「ヒラステリオン」以外に、新約では、それと同じギリシャ語から派生した二つの言葉が使われていて、キリストが人の罪を取り除いて、人と神との関係をなだめたことを示します。一つは「ヒラスコマイ」(hilaskomai―ヘブル2:17)で、「なだめること」、すなわち、「和らげること」、一方の要求を満たすことによって和解させることを意味します。もう一つは「ヒラスモス」(hilasmos―Iヨハネ2:24:10)で、「なだめるもの」、すなわち、なだめのいけにえを意味します。キリストは、わたしたちの罪のためになだめを成就されました(ヘブル2:17)。ですから、彼はわたしたちと神との間でなだめるもの、なだめの供え物となり(Iヨハネ2:24:10)、さらに契約の箱のふたで予表されているように、なだめの場所となられたのです(ヘブル9:5)。そこにおいて、わたしたちは神の御前でなだめを享受し、神はわたしたちに恵みを与えられます。


JGW日本福音書房 :ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの務めを出版する書房