1コリ  11章29節
11:29 なぜなら、食べ飲みする者が、3その体を2わきまえないのであれば、自分自身に対する1裁きを、食べ飲みすることになるからです。
11章29節 フットノート3

使徒は、「主の体」ではなく「その体」という表現を用いました。これは、主の物質の体(24節)のほかに、キリストの奥義的からだ(エペソ4:4)がある事実を暗示します。こういうわけで、わたしたちは主の食卓にあずかる時、食卓の上のパンがキリストの一つからだを象徴するのか、それとも人の分裂(宗派)を象徴するのかを、わきまえなければなりません。わたしたちはキリストのからだをわきまえて、どのような分裂にある、あるいは分裂の霊を伴ったパンにも、あずかるべきではありません。わたしたちが主の食卓にあずかることは、主の唯一のからだの唯一の交わりでなければなりません。そこには実行においても、あるいは霊においても、何の分裂もあってはなりません。
 使徒が頭のおおいを取り扱うことは(3節)、かしらと関係があり、主の晩餐(主の食卓)を取り扱うことは、からだと関係があります。キリストの頭首権は、神を代表し、男によって代表されていますが、それについて、わたしたちは神が定められた神聖な行政の秩序を、何の混乱もなく守らなければなりません。キリストのからだに関しては、わたしたちは何の混乱も分裂もなく、使徒の教えによって、正しく規制されなければなりません。かしらはキリストであり、からだは召会です。キリストと召会、この二つは、混乱と無秩序の召会を使徒が取り扱う上で、規制し指導する要因です。彼は第1章から第10章で召会の問題を、まずキリストが神の中心、またわたしたちの分け前であると強調することによって取り扱います。これに続いて、彼は第11章から第16章で、召会が神の目標であり、わたしたちの関心事であることを強調します。第1章から第10章で、彼は病んでいる召会の病をいやす抗生物質として、キリストを使い始めます。次に第11章から、彼は召会に進み、からだなる召会を、召会の無秩序に対する予防接種として用います。キリストと召会のいずれも、神の新約エコノミーの行政を遂行することで、極めて重要です。


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