神の召会! ケパの、アポロの、パウロの、あるいはどんな実行や教理の召会でもなく、神の召会です。コリントに在る召会には、分裂、罪、混乱、賜物の乱用、異端的な教えがあったにもかかわらず、使徒はなおもそれを「神の召会」と呼びました。なぜなら、集められた信者たちを神の召会とする神聖で霊的な本質が、確かにそこにあったからです。使徒によるそのような霊的な呼び名は、彼が霊的な視力で、キリストにある召会を見ていたことに基づいていました。そのような簡単な呼び名だけが、実行と教理におけるあらゆる分裂と混乱を取り除くはずでした。
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