金、銀、宝石は、三一の神の美徳と特質における、キリストのさまざまな経験を象徴します。使徒たちやすべての霊的な信者は、これらを用いて、キリストという唯一の土台の上に、召会を建造します。金は、父の神聖な性質とそのすべての特質を象徴します。銀は、贖うキリストと、キリストのパースンと働きのあらゆる美徳と特質を象徴します。宝石は、その霊の造り変える働きと、そのすべての特質を象徴します。これらすべての尊い材料は、わたしたちの霊の中で聖霊を通して、わたしたちがキリストにあずかり、享受して生み出されたものです。ただこれらだけが、神の建造にふさわしいのです。 召会は神の耕された地であって、植えること、水を注ぐこと、成長することがあるので、作物を生み出します。しかし、召会を建造するための正しい材料は、金、銀、宝石であり、そのすべては鉱物です。ですから、ここで造り変えの思想が暗示されています。わたしたちは命において成長するだけでなく、命の中で造り変えられることも必要です(IIコリント3:18.ローマ12:2)。これは、マタイによる福音書第13章の主のたとえ話にある思想と一致します。そこには小麦、からし種、粉(いずれも植物)と、畑の中に隠されている宝、すなわち金と宝石(鉱物)があります(参照、マタイ13:31のノート1.33節のノート3.44節のノート1)。
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