2コリ  13章14節
13:14 1主イエス・キリストの恵みと、の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。
13章14節 フットノート1

主の恵みは、わたしたちの享受のための、わたしたちの命としての主ご自身です(ヨハネ1:17とノート1.Iコリント15:10とノート1)。神の愛は、主の恵みの源としての神ご自身です(Iヨハネ4:8,16)。聖霊の交わりは、わたしたちがあずかるための、神の愛を伴う主の恵みの伝達としての聖霊ご自身です。これらは三つの別々のものではなく、一つのものの三つの面です。それは、主、神、聖霊が三つの別々の神ではなく、「一つの同じ、分けられてもいなければ、分けることもできない神の三つの実質(ハイポスタシーズ)」(フィリップ・シャフ)であるのと同じです。英語の「ハイポスタシス」(hypostasis)は「ハイポスタシーズ」(hypostases)の単数形であり、そのギリシャ語は(参照,ヘブル11:1のノート2)、下の支え、下からの支え、すなわち下から支えるもの、支えている実質を意味します。父、子、霊は、ハイポスタシーズ、支える実質であり、ひとりの神格を構成します。
 神は起源であるので、神の愛は源です。主は神の表現であるので、主の恵みは神の愛の経路です。その霊の交わりは、神の愛を伴う主の恵みの分与です。その霊は、三一の神、御父、御子、聖霊とその神聖な美徳を、わたしたちが経験し享受するための、神を伴う主の伝達であるからです。ここでは、主の恵みが最初に述べられています。なぜなら、この手紙はキリストの恵みに関するものであるからです(1:124:156:18:1,99:8,1412:9)。そらされ、混乱させられ、その後、励まされ、回復されたコリントの信者たちには、このような愛、恵み、交わりの三つの美徳の神聖な特質と、このような三つの神聖な実質から成る三一の神、すなわち父、子、その霊から成る三一の神が必要でした。ですから使徒は、彼の愛のこもった親密な手紙を結ぶにあたって、一つの文の中に、これらの神聖な尊いものをみな含めたのです。
 この節は、神格の三一が、組織神学の教理的理解のためではなく、三一における神ご自身が、選ばれ贖われた人々の中へと分与されるためであることを、強く証明します。聖書の中で三一は、決して単なる教理として啓示されていません。それは常に、神と彼の被造物との関係、特に神が創造された人、とりわけ彼が選び贖われた人々との関係について啓示されているか、あるいは述べられています。創造に関する神聖な啓示において使われた最初の神の称号、ヘブル語のエロヒムは複数形であり(創1:1)、人のための天地の創造主としての神が、三一であることを暗示しています。人をご自身のかたちに、ご自身の姿に創造されたことに関して、彼は「われわれに」と「われわれの」という複数の代名詞を使われました。これは神の三一に言及しており(創1:26)、神は人と一つになり、神の三一において、人を通してご自身を表現することを暗示しています。後に創世記第3章22節(創3:22)、第11章7節(創11:7)、イザヤ書第6章8節(イザヤ6:8)で、神は人との関係、神と彼の選ばれた人々との関係を述べる時、繰り返しご自身を「われわれ」と言っておられます。
 堕落した人を贖い、人と一つになる立場を再び持つために、神は御子にあってその霊を通して(ルカ1:31―35)受肉され(ヨハネ1:1,14)、人と成られました。そして、やはり御子にあって(ルカ2:49)、その霊によって(ルカ4:1マタイ12:28)、地上で人の生活をされました。地上での務めの初めに、御父は人々に臨むため、また彼らをご自分に連れ戻すために、その霊をもって御子を油塗られました(マタイ3:16―17ルカ4:18)。彼は肉体において十字架につけられ、復活して命を与える霊と成られる直前(Iコリント15:45)、彼の奥義的な三一を、弟子たちに明白な言葉で啓示されました(ヨハネ第14章―第17章)。その内容は、御子は御父の中にあり、御父は御子の中にあること(ヨハネ14:9―11)、その霊は御子の化身であること(ヨハネ14:16―20)、同時同存し、相互内在するこの三は信者たちの享受のために、彼らと共に住まわれること(ヨハネ14:2317:21―23)、御父が持っておられるすべては御子のものであること、御子が所有しておられるすべてはその霊によって受け取られたこと(ヨハネ16:13―15)です。そのような三一は、完全に、手順を経た神を信者たちの中へ分与することと関係があります(ヨハネ14:17,2015:4―5)。それは彼らが、三一の神の中で、三一の神と一となるためです(ヨハネ17:21―23)。
 復活の後、主は弟子たちに、すべての国民を弟子として、彼らを父、子、聖霊の名の中へとバプテスマするように命じられました(マタイ28:19)。主は、信じる者たちを三一の神の中へと、すなわち、受肉、人の生活、十字架を経過し、復活の中へ入り、手順を経た神との有機的結合へともたらすよう、弟子たちに命じられたのです。このような有機的結合に基づいて、使徒はコリント人への神聖な手紙の結びで、祝福された三一をもって彼らを祝福しました。それは、その霊の交わりを通して、御父の愛を伴う御子の恵みにあずからせることです。神聖な三一において、父なる神は、キリストのからだである召会のすべての肢体の中で、子なる神、主の務めを通し、その霊なる神の賜物によって、すべてのことを行なわれます(Iコリント12:4―6)。
 エペソ人への手紙は、キリストのからだとしての召会の産出、存在、成長、建造、戦いに関する書です。その神聖な啓示全体は、この神聖なエコノミー、すなわち三一の神のキリストのからだの肢体への分与から成り立っています。エペソ人への手紙第1章は、父なる神が永遠の中でこれらの肢体を選び、あらかじめ定められたこと(エペソ1:4―5)、子なる神が彼らを贖われたこと(エペソ1:6―12)、その霊なる神が担保として彼らに証印を押されたこと(エペソ1:13―14)、その結果、ご自身を召会の形成のために彼の信者たちに分け与えておられること、この召会はキリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満であること(エペソ1:18―23)を啓示しています。第2章は、神聖な三一において、すべての信者、ユダヤ人も異邦人も、子なる神を通して、その霊なる神の中で、父なる神に近づくことができることを見せています(エペソ2:18)。これは、三が、受肉、人の生活、十字架、復活の過程を経た後でさえ、同時同存し、相互内在されることを示します。第3章で使徒は、父なる神が信者たちを、霊なる神を通して、彼らの内なる人の中へと増強してくださるように、またキリスト(子なる神)が、彼らの心の中にホームを造ってくださるように、すなわち、彼らの全存在を占有してくださるようにと祈りました。それは、彼らが満たされて、神の全豊満へと至るためです(エペソ3:14―19)。これは、信者たちが三一における神にあずかることでの最高の経験です。第4章は、その霊、主、父としての手順を経た神が、いかにキリストのからだ(エペソ4:4―6)と混ざり合わされているかを描写しています。それは、からだのすべての肢体が神聖な三一を経験するためです。第5章は、主(子なる神)を、霊(霊なる神)の歌をもって賛美すること、わたしたちの主イエス・キリスト(子なる神)の御名の中で父なる神に感謝をささげることを、信者たちに勧めています(エペソ5:19―20)。これは、わたしたちが神聖な三一における手順を経た神を賛美し、彼に感謝することです。わたしたちは、彼を三一の神として享受できることに、感謝しなければなりません。第6章は、主(子なる神)の中で力づけられることによって、神(父なる神)のすべての武具を身に着け、その霊(霊なる神)の剣を振るって、霊的戦いを戦うことを教えています(エペソ6:10,11,17)。霊的戦いにおいても、信者による三一の神の経験と享受があるのです。
 使徒ペテロは、彼の手紙の中で、信者たちに父なる神の選び、霊なる神の聖別、イエス・キリスト(子なる神)の血による贖いに(Iペテロ1:2)言及することによって、神が三一であるのは、信者たちの享受のためであることを確証します。使徒ヨハネも、神聖な三一は、信者が手順を経た三一の神にあずかるためであるという啓示を、さらに強めています。啓示録でヨハネは、今おられ、昔おられ、やがて来ようとしておられる方(父なる神)から、また彼の御座の前の七つの霊(霊なる神)から、また忠信な証人、死人の中から最初に生まれた方、地上の諸王の支配者であるイエス・キリスト(子なる神)からの恵みと平安をもって、各地の召会を祝福します(啓1:4―5)。ヨハネの諸召会に対するこの祝福はまた、手順を経た三一の神が、信者たちの享受のためであることを示しています。手順を経た三一の神は、永遠の父としての彼であるものすべての中で、七倍に強化された霊としての彼がなし得ることすべての中で、油塗られた御子としての彼が到達し獲得したものすべての中で、信者たちの享受となられます。こうして彼らは、金の燭台として彼の団体的証しとなるのです(啓1:9,11,20)。
 こういうわけで、創世記から啓示録で、聖なる御言にある神格の三一の神聖な啓示は、神学の研究のためではないことが明らかにされます。この啓示は、神が奥義的な、すばらしい三一の中で、どのようにご自身を選びの民の中へと分与されるかの認識のためにあります。三一が分与されることによって、神に選ばれ贖われた民であるわたしたちは、コリントの信者たちに対する使徒の祝福の中で示されているように、現在から永遠に至るまで、手順を経た神にあずかり、経験し、享受し、所有するのです。アーメン。


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