1テモ  1章4節
1:4 1作り話や果てしのない2系図に心をとめたりすることがないように命じなさい.そのようなものは、4信仰の中にある3エコノミー[経綸]ではなく、むしろ疑問を引き起こすだけです。
1章4節 フットノート3

ギリシャ語は、「家庭の規則」を意味し、分配の意味を含みます(この言葉の一部の語源は、ヨハネによる福音書第10章9節の「牧場」の語源と同じです。この「牧場」という言葉は、群れに牧草を与えることを暗示します)、(ヨハネ10:9)。この言葉は、家庭の管理、家庭の行政、家庭の統治、そこから派生して、行政(分配)のための経綸、計画、エコノミーを意味します。ですから、それはまた、家庭のエコノミーでもあります。信仰の中にある神のエコノミーは、神の家庭のエコノミー、神の家庭の行政です(参照,エペソ1:10のノート1と3:9)。それは、キリストにあって、選びの民の中へとご自身を分与し、家を得てご自身を表現するためです。その家は召会(3:15)、キリストのからだです。使徒の務めは、この神のエコノミーを中心としていました(コロサイ1:25Iコリント9:17)。ところが、異議を唱える者たちの異なる教えは、神の敵に利用されて、神の民をこのエコノミーからそらしました。地方召会の行政と牧することで、この神聖なエコノミーは、聖徒たちに完全に明らかにされなければなりません。
 本書の第1章で、使徒パウロは神のエコノミーを提示して、異なる教えに対抗しました。神のエコノミーは信仰の中にありますが(4節)、異なる教えは律法の原則に基づいており、律法を中心としています(7―10節)。ですから信仰は、ガラテヤ人への手紙第3章(ガラテヤ3:2,5,23―25節)で取り扱われているように、律法に相対するのです。 律法の原則に基づいており、律法を中心とする教えは何であれ、不健康です(10節)。しかし、信仰の中にある神のエコノミーは、律法の原則に基づき、律法を中心とした教えと対照的です。神のエコノミーだけが健康的です。神のエコノミーだけが、人々がキリストを信じて永遠の命へと至り(16節)、神の永遠のご計画、信仰の中にある神のエコノミーにあずかることを可能にします。これは栄光の福音であって、祝福に満ちた神は、それを使徒パウロに託されました(11節)。そのような信仰と良い良心を投げ捨てる者は、その信仰について深い海で破船した者となります(19節)。


JGW日本福音書房 :ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの務めを出版する書房