褒賞は、永遠の救いに加えて与えられるものです。永遠の救いは信仰を通して得られるものであって、わたしたちの働きとは何の関係もありません(エペソ2:8―9)。ところが褒賞は、わたしたちの救われた後の働きに対して与えられるものです(Iコリント3:8、14)。わたしたちは救われたとしても、褒賞を受けないで、むしろ損失を被るかもしれません。なぜならわたしたちは、主が賞賛される働きに欠けるからです(Iコリント3:15)。その褒賞は、わたしたちの働きにしたがって、主が戻ってこられる時わたしたちに与えられます(マタイ16:27.啓22:12.Iコリント4:5)。わたしたちに与えられるものは、キリストの裁きの座で決定され(IIコリント5:10)、来たるべき王国の中で享受されるでしょう(マタイ25:21、23)。使徒パウロは、その褒賞を得るように努めました(Iコリント9:24―27.ピリピ3:13―14.IIテモテ4:7―8)。モーセでさえ、その褒賞をひたすら望みました(11:26とノート3を参照)。ここでヘブル人信者たちは、その褒賞、すなわち、来たるべき安息日の安息(4:9)、キリストを享受すること、来たるべき王国でキリストと共に支配することの褒賞を失うことがないようにと励まされています。
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