すなわち、という結果になる。命の中で成長することは、救いという結果になります。ここの救いは、命における成長の結果としての救いであって、初期の救いではありません。神の全き完全な救いには、再生から(義認を含む)栄光化(ローマ8:30)までの長い期間があります。わたしたちは再生の時、最初の救いを受けました(参照,1:5のノート5)。次に、神の言葉の中で養う乳としてのキリストで養われ、成長して、全き救いへと至り、栄光化のための円熟へと至る必要があります。これは、主イエスの出現の時にわたしたちに啓示される魂の救いとなります(1:5とノート5.1:9―10,13)。しかし、文脈によれば、ここの「救いへと」は、直接、5節(5節)の「霊の家に建造されていきながら、聖なる祭司の体系となって・・・・霊のいけにえをささげ」ること、また9節(9節)の、彼の「美徳を・・・・告げ知らせる」ことを言っています。
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