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出典

フットノート

啓示録 2:8 注1 ギリシャ語は「没薬」を意味し、没薬は予表では苦難を象徴します。ですから、スミルナに在る召会は苦難の召会でした。それは、第一世紀の終わりごろから第四世紀の初めごろの、ローマ帝国の迫害下にあった召会を象徴します。
啓示録 2:8 注2 苦難の中で、召会は、主が最初の者また最後の者、永遠に存在する変わることのない方であることを、知らなければなりません。どのような迫害の環境があったとしても、彼はいつも同じです。何ものも、彼に先立つことはできません。また何ものも、彼の後に存在することはできません。すべてのものは、彼の制御の限界内にあります。
啓示録 2:8 注3 「再び生きた」とは、復活を意味します。主は死の苦しみを受けられたのですが、再び生きられました。彼は死の中に入られました。しかし、死は彼を捕らえておくことはできませんでした(使徒2:24)。なぜなら、彼は復活であるからです(ヨハネ11:25)。苦難の召会は、どのような種類の苦難も耐えることができるために、彼をそのような方として知る必要があります。どれほどその苦難が厳しくても、召会は、依然として生きているのです。キリストの復活の命は、死を耐えることができます。
啓示録 2:9 注1 患難は召会にとって尊いものです。なぜならそれは、召会の命をテストするからです。召会が患難に遭うことを主が許されるのは、彼の復活の命が死に打ち勝つことをテストするためだけでなく、召会が彼の命の豊富を享受することができるためです。
啓示録 2:9 注2 苦難の召会は、物質的には貧しかったのですが、主にある彼の命の豊富で富んでいました。
啓示録 2:9 注2 苦難の召会は、物質的には貧しかったのですが、主にある彼の命の豊富で富んでいました。
啓示録 2:9 注4 ユダヤ教徒たちは肉のユダヤ人であって、霊のユダヤ人ではありませんでした(ローマ2:28―29)。単にアブラハムの子孫であるというだけでは、真のユダヤ人ではありません。肉の子供たちが、神の子供たちなのではありません(ローマ9:7―8)。
啓示録 2:9 注6 「サタン」はヘブル語からで、「内敵(adversary)」を意味します。彼は外側からの神の外敵(enemy)であるだけでなく、内側からの彼の内敵(adversary)でもあります。
啓示録 2:9 注5 神のエコノミーの目標は、地上に唯一の宮を持ち、神の証しをし、神の民の一を証しすることです。旧約で、神が唯一のご自身の宮を設けるために選ばれた場所は、エルサレムでした。神の民が堕落し、分裂し、散らされたので、多くの堕落し、分裂した礼拝センターが起こされました。これが会堂となったのです。これらの会堂は、ユダヤ人がおもに、彼らの聖書である旧約聖書を学ぶことによって、神を礼拝した場所でした。しかしユダヤ人は、彼らの伝統的宗教観念にしがみつく頑固さのゆえに、神の命の道に反対して、サタンと一つになりました。神はご自身の目的を、命の道によって成就されます。サタンの巧みな操作、操る手の下で、彼らの会堂は主イエスに反対し(マタイ12:9―14ルカ4:28―29ヨハネ9:22)、次に使徒たちに反対し(使徒13:43,45―46,5014:1―2,1917:1,5―6)、そして諸召会に反対しました。こういうわけで、主は彼らを「サタンの会堂」と呼ばれたのです。主は地上におられた時でさえ、会堂をサタンのものであると考えられました。それは、マタイによる福音書第12章25節から29節(マタイ12:25―29)と、ヨハネによる福音書第8章44節(ヨハネ8:44)で暗示されているとおりです。外面的に、彼らは会堂で神を礼拝しているようでした。しかし実際は、神に逆らっていたのです。彼らは神の真の礼拝者たちを迫害し、殺したのに、自分では神に奉仕していると考えました(ヨハネ16:2)。この時から、歴代、宗教的な人々は彼らの足跡をたどり、主を真に追い求める者、霊と命の中で主に従う者たちを、迫害しました。しかも、自分は神の益を守っていると考えていました。ローマ・カトリックとプロテスタントはユダヤ教と同じように、みなこの部類に入り、神のエコノミーに損害を与える道具として、サタンの組織になってしまいました。
啓示録 2:9 注3 ユダヤ教徒たちは、苦難の召会をそしり、召会を悪く批判しました。彼らはレビの祭司職、いけにえの儀式、物質の宮から成るユダヤ教の制度を守ることを、頑強に主張しました。しかし、それらはみな予表であって、キリストがそれらを成就し、それらに取って代わられました。神のエコノミーにおける新契約の下での召会は、彼らの宗教的実行には何もあずからなかったので、ユダヤ教徒たちは召会をそしり、批判しました。主を追い求め、霊と命の中で彼に従い、いかなる宗教組織や慣例をも顧みない主の回復の召会を、宗教的な者たちがそしることでは、原則的に今日も同じです。
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