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出典

フットノート

啓示録 2:10 注1 ギリシャ語は「訴える者」、「そしる者」を意味します(12:9―10)。悪魔はサタン、神の敵であり、わたしたちを神の御前で訴え、人々の前でそしります。
啓示録 2:10 注2 十は完全の数です。例えば、十戒は神の全き要求を表します。十日は十分であり、しかも短い期間を象徴します(創24:55エレミヤ42:7ダニエル1:12―14)。ここで、苦難の召会の患難は完全で、しかも短いことを象徴しています。しるしとして、これらの十日は、召会がローマ皇帝の下で受けた迫害の十の期間を予言的に示しており、それは第一世紀の後半の皇帝ネロで始まり、第四世紀の前期、コンスタンチン大帝で終わりました。悪魔、サタンのそそのかしによって、ローマ皇帝が全力を尽くして召会を滅ぼし、除き去ろうとした迫害が、どれほど激しいものであったとしても、彼らは召会を屈服させ、根絶することはできませんでした。死んで、再び生きた生けるキリストの召会は、破壊することのできない復活の命によって、勝利をもって迫害を耐え、繁栄し、増殖したことを、歴史が実証しています。
啓示録 2:10 注3 新約聖書の慣用では、冠は常に救いに加えて与えられる賞を示しています(参照,引照聖句10j)。迫害に勝利し、死に至るまで忠信であった者に与えられる賞としての命の冠は、勝利の力、すなわち復活の命の力を示しています(ピリピ3:10)。それはまた、これらの勝利者が、死人の中からの格別な復活(ピリピ3:11)、すなわち、ずば抜けた復活に達したことを示しています。
啓示録 2:11 注1 この手紙で、勝利を得るとは、死に至るまで忠信であることによって、迫害に打ち勝つことを意味します。
啓示録 2:11 注2 堕落と罪が入って来たことによって、人はすべて、一度は死ななければなりません(ヘブル9:27)。しかしながら、この最初の死は、最終の定めではありません。主イエスを信じて命の書に記録された人たちを除いて、すべての死者は復活して千年期の終わり、すなわち旧天旧地の終わりに、大いなる白い御座の裁きを通過します。この裁きの結果、罪に定められた者は、すべて火の池に投げ込まれます。火の池が第二の死であり、最終の定めです(20:11―15)。ですから第二の死は、人が死んで復活した後の神の対処です。勝利者は、迫害の下で死に至るまでの忠信によって死に打ち勝つので、復活の後、神によってそれ以上の対処を必要とするものは、何も残っていません。ですから、彼らは命の冠の褒賞を受け、復活後の第二の死である死によって、もはや触れられることも損なわれることもありません。
啓示録 2:12 注1 ギリシャ語は「結婚」(結合を暗示する)と「城壁を巡らした塔」を意味します。しるしとして、ペルガモに在る召会は、この世と結婚してこの世と結合し、そして高い城壁を巡らした塔となった召会を予表します。それは、主がからし種のたとえで予言された大きな木に等しいです(マタイ13:31―32)。サタンは初めの三世紀の間、ローマ帝国の迫害を通して召会を滅ぼそうとして失敗したので、その戦略を変えました。今度はコンスタンチン帝が、第四世紀の初めにキリスト教を国教として迎え入れたことを通して、召会を腐敗させようとしました。コンスタンチンの奨励と政治的影響によって、未信者の大群衆がバプテスマして「召会」に入り、こうして「召会」は怪物のように巨大になりました。召会は貞節な花嫁としてキリストに婚約している以上、この世との結合は、神の目には霊的姦淫とされます。
啓示録 2:13 注1 サタンの座はこの世にあります。この世はサタンの住む所であり、サタンが支配している領域です。世的な召会がこの世との結合に入ったので、召会はサタンの住む所に住んでいます。
啓示録 2:13 注2 主の御名は彼のパースンを意味します。パースンは名の実際です。主の信仰は、わたしたちが彼のパースンと働きについて信じなければならないすべてを示しています。それは、信じるというわたしたちの内側の主観的な信仰ではなく、わたしたちが信じることについての客観的な信仰です。召会は、この世との結合に入ったために、主の御名を無視し、正当なクリスチャン信仰を否み始めました。
啓示録 2:13 注3 ギリシャ語で「アンテパス」は、「すべてに反対する」を意味します。この忠信な主の証し人は、この世的な召会が持ち込み実行したすべての事に反対して立ちました。それゆえに、彼は主の殉教者になりました。ギリシャ語で「殉教者」は、「証し人」と同じ言葉です。反対する証し人として、アンテパスは、イエスの証しからそれているすべてに反対の証しをし、反対の証言をしました。彼の時代、ペルガモに在る召会がなおも主の御名をしっかりと保ち、正当なクリスチャン信仰を否まなかったのは、この反対の証言を通してであったに違いありません。
啓示録 2:13 注2 主の御名は彼のパースンを意味します。パースンは名の実際です。主の信仰は、わたしたちが彼のパースンと働きについて信じなければならないすべてを示しています。それは、信じるというわたしたちの内側の主観的な信仰ではなく、わたしたちが信じることについての客観的な信仰です。召会は、この世との結合に入ったために、主の御名を無視し、正当なクリスチャン信仰を否み始めました。
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