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出典

フットノート

啓示録 2:17 注3 聖書で石は、神の建造のための材料を象徴します(マタイ16:18Iペテロ2:5Iコリント3:12)。天然の存在では、わたしたちは石ではなく、土くれです。わたしたちは再生を通して神聖な性質を伴う神聖な命を受けたので、キリストをわたしたちの命の供給として享受することによって石に造り変えられ、さらに宝石にさえ造り変えられることができます(IIコリント3:18)。この世的な召会に従わないで、正当な召会生活の中で主を享受するなら、わたしたちは神の建造のための石に造り変えられます。これらの石は、白い色で示されているように、主によって義とされ、良しとされています。ところが、この世的な召会は、彼に罪定めされ、拒否されます。召会を建造する神の働きは、わたしたちの造り変えにかかっています。その造り変えは、わたしたちの命の供給としてのキリストを享受することの結果です。
啓示録 2:17 注4 名はパースンを示しています。新しい名は造り変えられた人の名称です。白い石に造り変えられた信者はみな、「それを受ける者のほか、だれも知らない新しい名」を持っています。そのような新しい名は、造り変えられていく人の経験を説明します。ですから、彼自身のほか、その名の意味を知っている者はいないのです。
啓示録 2:18 注1 ギリシャ語は、「香のいけにえ」、あるいは「絶え間のないいけにえ」を意味します。しるしとして、テアテラに在る召会は、ローマ・カトリックを予表しています。それは第六世紀の後期に宇宙的法王制の確立によって、背教の召会として完全に形成されました。この背教の召会は、その絶え間のないミサで証明されるように、いけにえに満ちています。
啓示録 2:18 注3 文字どおりには、彼の目。この世的な召会、ペルガモに在る召会を対処する時、主はご自身のことを、鋭いもろ刃の剣を持つ者と言われました。この背教の召会、テアテラに在る召会を対処する時、主はご自身のことを、火の炎のような目を持ち、足が輝く真ちゅうのような者と言っておられます。この世的な召会は彼の打つ言葉、殺す言葉の対処を必要とします。背教の召会は、彼の探る目と、踏みにじる足の裁きを必要とします。
啓示録 2:18 注2 背教のローマ・カトリックは、キリストをマリヤの息子であると強く強調しています。ですから、ここで主は背教である異端に対して抵抗し、彼は神の子であると言っています。
啓示録 2:19 注1 背教のカトリックには多くのわざと奉仕があります。カトリックの終わりの日のわざは、過去のわざにまさっています。
啓示録 2:20 注1 ここの女は、主がマタイによる福音書第13章33節(マタイ13:33)で予言されたのと同じ女です。この女はパン種(邪悪な、異端の、異教的なものを象徴する)を、きめの細かい粉(神と人の満足のための穀物のささげ物としてのキリストを象徴する)に入れました。この女は、啓示録第17章の大遊女であり、忌むべきものと神聖なものを混ぜ合わせています。アハブの異教の妻であるイゼベルは、この背教の召会の予表です(参照,引照聖句20b)。
啓示録 2:20 注2 預言者は、神の権威をもって神のために語る者です。ここで主はイゼベルを予表として使われましたが、これは背教のローマ・カトリックが自称女預言者、神の権威を受けて、神のために語ると主張する者であることを示しています。
啓示録 2:20 注3 ペルガモに在る召会には、バラムの教えとニコライの者たちがありました。これらは、この背教の召会において継続されています。さらに、カトリックは自ら教え、人々に神の聖なる御言よりも、自らに聞き従わせます。カトリックを支持する者たちはみな、その異端的、宗教的教えの中毒にかかり、主がエペソに在る召会やペルガモに在る召会に約束された命の木や、隠されたマナで示されているような、彼らの命と命の供給であるキリストを、心にとめようとしません(7,17節)。
啓示録 2:20 注4 背教の召会には、霊的にも物質的にも、あらゆる姦淫と偶像礼拝が満ちています。第17章で、これは「大遊女」とさえ呼ばれています。
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