出典 |
フットノート |
啓示録 5:4 注1 |
もし実際に、全宇宙に巻物を開くのにふさわしい者が一人もいないとしたら、わたしたちは確かに泣くほかありません。なぜなら全宇宙は、その秘密を開く資格のある人が一人もいないので、むなしいからです。 |
啓示録 5:5 注1 |
獅子はキリストの象徴であり、創世記第49章8節から9節(創49:8―9)で預言されているように、敵に対する強力な戦闘者であるキリストを描いています。キリストの勝利は、その巻物と七つの封印を開く資格を彼に与えます。 |
啓示録 5:5 注2 |
「ダビデの根」(彼はまたダビデの父、エッサイの根でもある―イザヤ11:1)という称号は、キリストがダビデの源であることを象徴します。ですから、彼の父祖ダビデは、彼を「主」と呼んだのです(マタイ22:42―45)。 |
啓示録 5:5 注3 |
ユダ族の獅子として、キリストは神の敵、反逆者サタンに打ち勝ち、彼を打ち破られました。また贖いの小羊として、彼は堕落した人の罪を取り去られました。そうすることによって、彼は障害物を取り除き、神の目的を達成されました。ですから、キリストは神のエコノミーに関する巻物を開くにふさわしいのです。 |
啓示録 5:6 注3 |
「ほふられたばかり」とは、小羊がほふられて間もないこと、そして、この章に描かれている天の情景が、キリストの昇天の直後であったことを示しています。 |
啓示録 5:6 注1 |
第4章には、神の御座を中心とする天の光景があります。神は御座に座し、永遠の目的を成就するために、宇宙的な行政を執行しようとしておられます。この第5章には、同じように天の光景があり、そこにキリストは昇天した後おられます。長老たちの一人が、キリストをユダ族の獅子として使徒ヨハネに推薦しましたが、彼はヨハネに小羊として現れました。獅子としての彼は、敵と戦う方であり、小羊としての彼は、わたしたちのための贖い主です。彼はわたしたちを贖うために戦い、敵に対する戦いに勝利を得て、わたしたちのために贖いを達成されました。敵にとって彼は獅子であり、わたしたちにとって彼は小羊です。ですから、彼は獅子―小羊です。 |
啓示録 5:6 注2 |
贖いに関する限り、キリストは昇天の後、天で神の右に座られました(ヘブル1:3.10:12)。神の行政の遂行に関しては、彼はなおも昇天の中で立っておられます。 |
啓示録 5:6 注4 |
角は戦いにおける力を象徴します(申33:17)。キリストは贖う小羊ですが、戦うために角を持っておられます。彼は戦う贖い主です。彼の戦いは、神の動きの中で完全(完成と完全)です。これは、七の数で象徴されているとおりです。 |
啓示録 5:6 注5 |
目は観察と探り求めのためです。贖いの小羊としてのキリストは、七つの観察し探り求める目を持っておられます。それは、宇宙で神の裁きを執行し、神の永遠の目的を成就するためです。神の永遠の目的は、新エルサレムの建造において完成します。ですから、ゼカリヤ書第3章9節(ゼカリヤ3:9)で、彼は石、すなわち、神の建造のための七つの目を持つかしら石(ゼカリヤ4:7,直訳)であると予言されています。これらの七つの目は、あまねく全地を行き来する(ゼカリヤ4:10)、全地に遣わされた神の七つの霊です。第1章14節(1:14)のノート3を参照。 |
啓示録 5:6 注6 |
ギリシャ語の文法によれば、「それ」は「七つの目」です。ですから、神の七つの霊は、小羊の七つの目のことを言っているだけであって、彼の七つの角ではありません。 |