これは、奴隷―救い主と彼に従う者たちが、16節から18節(16―18節)で過越の食事を食べた後の、奴隷―救い主の晩餐の食事でした。彼は、信者たちが彼を記念するこの新しい祝宴を開始して、過越の祭り、すなわち、エホバの救いを選民が記念する旧約の祝宴(出12:14.13:3)に置き換えられました。新約のこの新しい祝宴は、パンを食べ杯を飲むことによって、奴隷―救い主を記念するためです。パンは、彼の信者たちのために与えられた彼の体を象徴し(Iコリント11:24)、杯は、彼らの罪のために流された彼の血を象徴します(マタイ26:28)。パンは命(ヨハネ6:35)、神の命、永遠の命を示し、杯は祝福を示します(Iコリント10:16)。それは、信者の分け前としての神ご自身です(詩16:5)。罪人として、彼らの分け前は、神の怒りの杯であるべきでした(啓14:10)。しかし、奴隷―救い主は彼らに代わってその杯を飲まれ(ヨハネ18:11)、彼の救いは彼らの分け前、満ちあふれる(詩23:5)救いの杯となります(詩116:13)。その内容は、信者たちのすべてを含む祝福としての神です。このパンとこの杯が、奴隷―救い主の晩餐の構成要素です。彼の晩餐は、彼が設立された食卓(Iコリント10:21)、宴席であって、彼の信者たちが彼をそのような晩餐として享受して、彼を記念するためです。こうして、信者たちは彼を記念する時、贖い、命を解き放す彼の死を展覧し(Iコリント11:26――彼の血が彼の体から分離されたことは、死を告げ知らせる)、全宇宙に、彼の豊かな驚くべき救いを証しします。
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