マタイ第5章13節(マタイ5:13)のノート2を参照。ここの言葉の適用は、マタイによる福音書第5章13節(マタイ5:13)やルカによる福音書第14章34節(ルカ14:34)のものとは異なります。マタイとルカで、塩はこの世に対して信者たちが及ぼす影響を描写します。塩は腐敗した世を塩づけるためです。ここの塩は、浄化する火と同意語であって、罪を犯す信者たちに塩味をつけるためです。それは、神の懲罰がこの時代に、罪を犯す信者たちのためにあるのと同じです。ですから、信者たちは自分の中に塩を持つべきです。それは、彼らが罪からきよめられるためだけではなく、いかなる分裂的要因(性急なヨハネが意見を異にする兄弟を禁じたり、偉大さについて議論することで持っていたような)からもきよめられて、互いに平和であるためです。そのような浄化する塩は、信者たちの言葉を浄化します。それは、彼らが互いに平和を保つためです(コロサイ4:6)。ここの主の言葉は、意見を異にした兄弟に対するヨハネの言葉が、きよめられていなかったことを示します。こうして、38節から50節(38―50節)の区分全体は、信者たちの一致のための寛容に関する、奴隷―救い主の教えを提示します。
|