第1章35節(1:35)でのイエスの聖霊による受胎は本質的であり、イエスの神聖な存在、神聖なパースンと関係がありました。イエスの受胎における聖霊の神聖な要素の本質は不変であり、離れることのできないものでした。しかし、ここでイエスの上に下った聖霊は、エコノミー的であり、イエスの務め、働きと関係がありました。イエスの務めのための聖霊の力は(4:14,18.マタイ12:28)、その必要に応じて彼から離れることもあります。彼が十字架上で、罪人のために罪を担って死のうとしておられた時、神がイエスを見捨てて離れたのは、このエコノミー的なことでした(マタイ27:46)。ここで、聖霊が力の中で彼の上に下りましたが、彼はすでに彼の誕生から、本質において聖霊を持っておられました。聖霊が力の中で彼の上に下っていた間、彼は本質において聖霊と共におられました。
|