これは信者たちの一の第三の面であり、神の団体的表現のための、神聖な栄光における一です。一のこの面において、信者たちは彼らの自己が完全に否定されて、彼らの完成された一の要因として御父の栄光を享受し、こうして、団体的な建造された方法で神を表現します。これは神聖な委託の一であり、それは御子の祈りを成就します。すなわち、信者たちが建造されることによって、御子が完全に表現され、栄光が現されるように、御子が栄光を現されることによって、御父も完全に表現され、栄光が現されるということです。ですから、信者たちの究極的一は、(1) 神の永遠の命の中で(御父の御名の中で)、(2) 聖なる言葉によって、(3) 神聖な栄光の中で、永遠にわたって三一の神を表現することです。御子がこの一を成し遂げるために、御父は御子に六つのものを与えられました。それは、権威(2節)、信者たち(2、6、9、24節)、わざ(4節)、言葉(8節)、御父の御名(11―12節)、御父の栄光(24節)です。信者たちがこの一にあずかるために、御子は彼らに三つのものを与えられました。それは、永遠の命(2節)、神の聖なる言葉(8、14節)、神聖な栄光(22節)です。(23節の「一」も同じです)。
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