ヨハネ  7章2節
7:2 時に、ユダヤ人の1仮庵の祭りが近づいていた。
7章2節 フットノート1

第6章の事例は、過越の祭りの時に起こりました。第7章のこの事例は、仮庵の祭りの時に起こりました。過越の祭りはユダヤ人の年ごとの祭りの最初のものであり、仮庵の祭りは最後のものです(レビ23:534)。過越の祭りは、一年の最初の祭りとして、人生の始まりを暗示します(参照、出12:2―36)。それは、人が満足を追い求めるのに、その結果は人の飢えであると言っています。仮庵の祭りは、一年の最後の祭りとして、人生の完了と成功を暗示します(参照、出23:16)。それには終わりがあり、その結果は人の渇きです。過越の祭りの場面では、主はご自身を人の飢えを満たす命のパンとして提供されました。仮庵の祭りの場面では、主は生ける水を流し出して、人の渇きをいやすことを約束されました。
 ユダヤ人は作物を完全に収穫し終わった後、仮庵の祭りを守って神を礼拝し、刈り取った物を享受しました(申16:13―15)。ですからこの祭りは、人の事業、学歴、宗教を含む人生の他の事柄での完成、成就、成功、それに伴う喜びと享受を象徴します。
 神が仮庵の祭りを定められたのは、イスラエルの子たちが、自分たちの父祖が荒野をさまよっていた時、どのように天幕の中に住み(レビ23:39―43)、良き地の安息に入ることを期待していたかを、思い起こさせるためです。ですから、この祭りは、人々が今日まだ荒野にいて新エルサレムの安息、すなわち永遠の幕屋(啓21:2―3)に入る必要があることを、思い起こさせます。アブラハム、イサク、ヤコブも天幕で生活して、この永遠の幕屋を待ち望んでいました(ヘブル11:9―10)。この永遠の幕屋では、命の水の川が神と小羊の御座から流れ出て、人の渇きをいやします(啓22:117)。そのような祭りの最後の日に、そのような背景をもって、キリストが生ける水の川の約束を叫ばれたのです。その生ける水の川は、永遠に人の期待を満足させます(37―39節)。


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