すなわち、ナジル人の誓願にあずかる(参照、24節のノート1)。これを行なうために、パウロは宮に入り、誓願の期間、七日の満了まで、ナジル人と共に、そこにとどまっていなければなりませんでした。次に、祭司は自分も含めて、めいめいのためにささげ物をささげます。確かにパウロは、そのような実行が時代遅れの経綸のものであることが、はっきりしていました。新約の務めにおけるパウロの教えの原則によれば、神の新約エコノミーにおいて、それは拒否されるべきでした。ところが、彼はそれをやり抜いたのです。おそらく、第18章18節(18:18)の初期の個人的誓願でも明らかにされていたパウロのユダヤ教的背景のため、またおそらく、彼がコリント人への第一の手紙第9章20節(Iコリント9:20)の言葉を実行していたためでしょう。しかしながら、パウロの寛大さは、神の新約エコノミーを危うくしました。神はこれを容赦されませんでした。この時点で、パウロは苦境に置かれていることを感じたに違いありません。また大いに煩わされて、そこから救い出されることを切望していたに違いありません。誓願が終わろうとしていたまさにその時、騒動がパウロに敵対して起こるのを、神は許されました。そして、彼らが成し遂げようとしていたことは吹き飛ばされました(27節)。さらに、パウロは神の主権によって、この苦境から救い出されました。 ユダヤ教の実行と神の新約エコノミーを混合することは、神の経綸に関して誤りであるだけでなく、神の目に忌み嫌うべきものでもありました。このはなはだしい混合を、神はわずか十年前後のうちに、タイタスと彼のローマ軍によって、ユダヤ教の中心であるエルサレムと宮の崩壊をもって終わらせられました。これは、ユダヤ教の荒廃から召会を救い出し、召会を絶対的に区別しました。 神は、パウロが第18章18節(18:18)で行なった個人的な誓願を、容認されたかもしれません。しかし、神の選びの器パウロが、新約の啓示の完成のためだけでなく(コロサイ1:25)、新約エコノミーの遂行のために(エペソ3:2、7―8)、ナジル人の誓願、厳格なユダヤ教の実行に加わることは、許しておくことができませんでした。パウロはエルサレムへ行く時、召会に対するユダヤ教の影響を一掃することを意図していました(参照、19:21のノート1の第二段落)。しかし神は、その召会が救い難いことを知っておられました。ですから、神は彼の主権の中で、パウロがユダヤ人によって捕らえられ、またローマ人によって投獄されることを許されました。それは、パウロが、神聖な啓示を完成する(コロサイ1:25)最後の八つの書簡を書いて(参照、25:11のノート1)、神の新約エコノミーに関するさらに明確で、さらに深遠な展望を、召会に与えるためでした(エペソ3:3―4)。こうして神は、その荒廃させる混合が、エルサレムの崩壊をもって終わらせられるまで、ユダヤ教に影響されていたエルサレムに在る召会を、そのままにしておかれました。パウロが最後の八つの書簡を書いて神の新約の啓示を完成することは、召会のために外側の働きを成し遂げることよりも、はるかに重要で必要なことでした。
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