人、あるいは天使の(13:1)正常な言語や方言であって(使徒2:4、6、8、11)、意味のない声や音ではありません。本物で正常な異言を語ることは、その霊の多くの賜物の一つであり(4節)、その霊の現れの、多くの面の一つです(7節)。ある人たちは、異言で語ることは、まずその霊のバプテスマの最初の証明であり、その後その霊の賜物となると言います。彼らは、異言で語ることは最初の証明であるから、すべての信者は異言で語らなければならないが、必ずしもすべての信者が異言を語る賜物を持つ必要はないと言います。このような教えには、新約聖書に何の根拠もありません。新約聖書は、異言で語ることはその霊の多くの賜物の一つにすぎないこと、そしてすべての信者がそれを持つわけではないことを、非常にはっきりとさせています。
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