父なる神の化身、表現としての神の御子は(ヨハネ1:18.14:9―11.ヘブル1:3)、わたしたちへの命です(ヨハネ10:10.Iヨハネ5:12.コロサイ3:4)。神の心の願いは、御子をわたしたちの中に啓示して、わたしたちが彼を知り、彼を命として受け入れ(ヨハネ17:3.3:16)、神の子たちとなることです(ヨハネ1:12.ガラテヤ4:5―6)。彼は生ける神の御子として(マタイ16:16)、ユダヤ教とその伝統よりも、はるかにまさっておられます(13―14節)。ユダヤ教宣教者は、ガラテヤ人を惑わしたので、彼らは律法の規定が、生ける神の御子以上のものであると考えました。ですから、使徒はこの書簡の冒頭で、自分はユダヤ教と深くかかわり、その中ではるかに進んでいた、ところが神は、御子を自分の中に啓示することによって、神の目に邪悪であるこの世の潮流から救い出してくださった、と証ししたのです。彼は経験によって、生ける神の御子は、先祖から伝えられてきたユダヤ教やその死んだ伝統とは比較にならないことを認識しました。
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