神はキリストを、万物の上にかしらとされました(22節)。あらゆる時代における神のすべての経綸を通して、万物が新天新地において、キリストの中でかしらにつり上げられるでしょう。それは、神の永遠の行政とエコノミーとなるでしょう。このように、万物をかしらにつり上げることは、3節から9節(3―9節)で述べられているすべての項目の結果です。22節(22節)はさらに、このかしらにつり上げることが、召会に対してであり、キリストのからだが、かしらとしてのキリストのすべてのものを分け合い、天使と人の反逆によって引き起こされた、死と暗やみの中にある宇宙的崩壊の山から、救われるためのものであることを示しています。信者がこのかしらにつり上げられることにあずかるのは、召会生活の中でつり上げられようとし、命において成長し、キリストの光の下で生きることによってです(ヨハネ1:4.啓21:23―25)。すべてのものがキリストの中でかしらにつり上げられる時、絶対的な平和と調和があり(イザヤ2:4.11:6.55:12.詩96:12―13)、また崩壊からの完全な救いがあるでしょう。これは、万物の復興の時から始まります(使徒3:21)。
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