「召会に」とは、一種の伝達を暗示します。かしらなるキリストが到達し、獲得したものは何であれ、彼のからだなる召会に伝達されます。この伝達の中で、召会はキリストと共に、彼が到達されたすべてのものを分け合います。すなわち、死人からの復活、彼の超越の中で座らせられること、万物を彼の足の下に従わせること、万物の上の頭首権です。 「信じるわたしたちに」(19節)と、「召会に」は、三一の神が経過されたすべてのものを含む神聖な力が、一度で永遠にわたしたちの中に設置され、そして継続的に伝達されていることを示します。それは、キリストを豊かに享受させ、正当な召会生活を持たせます。この召会はキリストのからだであり、豊満であって、それは、前に述べられた神の祝福の結果です。
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