パウロの生活は、キリストを生きることでした。彼にとって生きることはキリストであり、律法や割礼ではありませんでした。彼は律法を生きようとしたのではなく、キリストを生きようとし、律法の中に見いだされるのではなく、キリストの中に見いだされようとしました(3:9)。キリストは彼の命であるだけでなく、彼の生活でもありました。キリストが彼の中に生きておられたので(ガラテヤ2:20)、彼はキリストを生きました。彼は命においても生活においても、キリストと一つでした。彼とキリストは、一つの命と一つの生活を持っていました。彼らは一人の人として共に生きました。キリストはパウロの内側でパウロの命として生き、パウロは外側でキリストの生活として、キリストを生きました。キリストの正常な経験は彼を生きることであり、彼を生きるとは、状況にかかわりなく、常に彼を大きく表現することです。
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