キリストによって語られた言葉。神の新約エコノミーにおいて、神は御子の中で語られます。御子は、福音書の中でご自身によってだけでなく、使徒行伝、書簡、啓示録の中で、彼の肢体、使徒たちと預言者たちを通して語られます。これらすべての語りかけは、彼の言葉と考えることができます。 この箇所では、賛美と歌となってあふれ出る霊の命の満たしは、言葉と関係があります。しかし、ここと類似している節であるエペソ人への手紙第5章18節から20節(エペソ5:18―20)では、霊の命の満たしはその霊と関係があります。これは、言葉がその霊であることを示しています(ヨハネ6:63後半)。正常なクリスチャン生活は、言葉で満たされており、その霊が信者たちの内側から、賛美と歌のしらべとなってわき上がってくる生活です。 本書の中心は、わたしたちのかしらと命であるキリストです。彼がご自身の頭首権を行使し、彼の豊富をわたしたちに供給する道は、彼の言葉を通してです。ですから、強調点はキリストの言葉にあります。エペソ人への手紙は、キリストのからだとしての召会に関するものです。わたしたちが正常な召会生活を生きる道は、霊の中で満たされて、神の全豊満へと至ることです。ですから、その霊が強調されています。エペソ人への手紙では、聖霊とわたしたちの霊が、繰り返し強調されています。言葉は、その霊とさえ見なされています(エペソ6:17)。ところが本書では、二つの霊はそれぞれ一度、述べられているにすぎません(1:8.2:5)。エペソ人への手紙では、言葉はわたしたちの天然の命を洗い流し(エペソ5:26)、敵に対抗して戦うためです(エペソ6:17)。しかし本書では、言葉はキリストの卓越性、中心性、普遍性を啓示するためです(1:25―27)。
|