パウロの時代、コリントでもテサロニケでも、肉欲と不道徳が異教の宗教ではびこっており、彼らの異教礼拝によって助長されてさえいました。人は神を表現するために造られました(創1:26)。この目的について、淫行ほど人を破壊するものはありません。これは、人が聖となり、神へと分離されることを妨げ、人を徹底的に汚して、神の聖なる目的を成就できなくさせます。ですから使徒は、新しく救われた異邦人信者たちに、神へと聖別され、神の目に最もひどい罪、淫行から遠ざかって、その破壊と汚れを避けるようにと強く命じているのです。
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