ピレ  1章16節
1:16 それも、1もはや奴隷としてではなく、2奴隷を超えて、3愛する兄弟としてです.とりわけ、わたしにとってそうですが、あなたにとっては、4肉にあってもにあっても、なおさらのことです。
1章16節 フットノート1

この短い手紙は、キリストのからだのすべての肢体が、神の永遠の命と神聖な愛において平等であることを示すという、特別な目的を果たしています。まだ野蛮であったパウロの時代に、強力な奴隷制度は、キリストの命によって、信者たちの間で無効にされました。クリスチャンの交わりにおける愛の感覚はとても強く、優勢であったので、堕落した人類の間の邪悪な社会秩序は自然に無視され、奴隷解放のための制度改正の必要はありませんでした。神聖な誕生と神聖な命による生活のゆえに、キリストにあるすべての信者は、召会の中で平等な身分を持っています。召会とは、キリストにある新しい人であり、自由人と奴隷の区別はありません(コロサイ3:10―11)。これは、三つの事実に基づいています。(1)キリストの十字架上の死が、一人の新しい人を創造するために、さまざまな生活様式の規定を廃棄したこと(エペソ2:15)。(2)わたしたちはみなキリストの中へとバプテスマされ、彼の中で一つとされて(ガラテヤ3:27―28)、いかなる相違もないこと。(3)新しい人の中では、キリストがすべてであり、すべての中におられること(コロサイ3:11)。平等な交わりにおける、そのような愛を伴うこの命は、召会の中で良い秩序を維持し(テトス)、召会に関する神のエコノミーを遂行し(Iテモテ)、召会の衰退の潮流に対抗して立つ(IIテモテ)ことができます。新約聖書の配列において、この手紙が前の三冊の書の後に置かれたことは、主の主権です。


JGW日本福音書房 :ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの務めを出版する書房