同じギリシャ語が、第1章3節(1:3)で「本質」、第3章14節(3:14)で「確信」、コリント人への第二の手紙第11章17節(IIコリント11:17)で「確信」(確かな根拠を持って知っているという意味で)に使われています。それはまた「確証」、「実際」、「本質」(外観に対立する物事の真の性質を意味する)、「土台」、「根拠」とも訳すことができます。この言葉の基本的な意味は、「実質」を意味しますが、ここでは、(望んでいる事柄の)実質を実体化することを意味します。ですから、それは、「実体化」と訳すことができます。「実体化する」という言葉は、「実質」の動詞形です。実体化するとは、見えない実質、すなわち見えない事柄の実際に、実体を与えることです。これが信仰の行為です。ですから、ここでは、信仰とは望んでいる事柄を実体化することである、と言っているのです。
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