すべて望んでいる事柄は、見ていない事柄です(ローマ8:24―25)。わたしたちは望みの民として、生活の目標は見える事柄ではなく、見えない事柄であるべきです。なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです(IIコリント4:18)。ですから、わたしたちは見えるものによってではなく、信仰によって歩きます(IIコリント5:7)。