キリストは主の御使いとして、患難にあったイスラエルの子供たちと常に共におられました(出3:2、7―9.14:19.民20:16.イザヤ63:9)。さらに、聖書はキリストと彼らを同一視しています(ホセア11:1.マタイ2:15)。ですから、彼らに及んだそしりは、キリストのそしりと見なされました。また神をそしる者たちのそしりは、キリストの上にも及びました(ローマ15:3)。新約の信者たちは彼に従う者として、彼のそしりを担い(13:13)、彼の御名のためにそしられます(Iペテロ4:14)。モーセは神の民と共に虐待されることを選び(25節)、このようなそしり、神のキリストのそしりを、パロの宮殿にあるエジプトの財宝にまさる富と考えました。それは、彼が褒賞をひたすら望んでいたからです。
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