ヘブル  12章16節
12:16 淫行の者、あるいはエサウのように俗悪な者が、だれもないようにしなさい.彼は一食のために、自分の1長子の権を放棄したのです。
12章16節 フットノート1

エサウはイサクの長子であり、彼の長子の権は、地の二倍の分け前、祭司職、王職でした。エサウは俗悪になって自分の長子の権を放棄したので、地の二倍の分け前はヨセフに与えられ(歴代上5:1―2)、祭司職はレビに渡され(申33:8―10)、王職はユダに割り当てられました(創49:10歴代上5:2)。
 わたしたちクリスチャンは、神から生まれ、彼がご自身の創造の中で収穫される被造物の初穂(ヤコブ1:18)です。この意味で、わたしたちは神の長子です。ですから、長子であるわたしたちから構成される召会は、長子の召会(23節)と呼ばれます。神の長子として、わたしたちは長子の権を持っています。これは地の嗣業(2:5―6)、祭司職(啓20:6)、王職(啓20:4)を含みます。それらは来たるべき王国におけるおもな祝福です。俗悪な、世を愛し求めるクリスチャンたちは、主が戻ってこられる時、それらを失います。結果的に、この長子の権は千年王国で、勝利を得たクリスチャンたちに与えられる褒賞となるでしょう。いかなる世的な享受も、それが一食だけであったとしても、わたしたちのものであるこの長子の権を失わせることができます。そのような厳粛な警告の後、もし、ヘブル人信者たちが、なおも彼らの古い宗教の「一食」にふけることを好むなら、キリストの完全な享受を失い、王国の安息とそのあらゆる祝福を失ったでしょう。
 自分の長子の権を失ったのは、エサウ(創25:29―34)だけではありません。ルベンも、長子の権の祝福を失った人でした(創49:3―4歴代上5:1)。エサウは、食べることでの欲望のゆえにそれを失いました。ルベンは、彼の情欲の汚れのゆえにそれを失いました。これらの事例はいずれも、わたしたちにとって警告となるべきです。この節の「淫行の者がだれもないように」という言葉は、ルベンの背景のゆえに書かれたのでしょう。
 キリストの中でわたしたちに与えられている享受は、来たるべき王国における祝福の前味わいです。この前味わいを正常に享受していれば、わたしたちは王国の祝福の全き味わいへもたらされます。もしわたしたちが今日、第4章9節(4:9)のノート1で定義されている良き地としてのキリストを享受していなければ、どうして王国の中で彼の安息に入り、彼と共に地を受け継ぐことができるでしょうか? もしわたしたちが今日、自分たちの祭司職を活用して彼と接触していないなら、祈りをもって彼に仕えないなら、どうして王国の中で祭司の義務を全うすることができるでしょうか? もしわたしたちが霊を活用し、神から与えられた権威をもって、自己、肉、自分の全存在、敵とそのあらゆる暗やみの力を支配しないなら、どうしてキリストと共同の王となって、彼と共に彼の王国で諸国民を支配する(啓2:26―27)ことができるでしょうか? 今日わたしたちがキリストを享受し、祭司職と王職を実行することは、明日キリストの王国にあずかることの準備、資格づけです!


JGW日本福音書房 :ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの務めを出版する書房