あるいは、創設者、開始者、先導者、開拓者、先駆者。ギリシャ語は、第2章10節(2:10)で使われているのと同じ言葉です。旧約の勝利を得た聖徒たちはみな、信仰の証し人であるにすぎません。ところがイエスは、信仰の創始者です。彼は信仰の創設者、開始者、源、起源です。わたしたちの天然の人の中に、信じる能力はありません。わたしたちは、自分だけでは信仰を持っていません。わたしたちは、主から受けた尊い信仰(IIペテロ1:1)を通して救われました。わたしたちがイエスをひたすら見つめる時、彼は命を与える霊として(Iコリント15:45)、わたしたちにご自身を、彼の中の信じる要素を伴って伝達されます。すると自然に、信じるということがわたしたちの中に起こり、彼を信じる信仰を持ちます。この信仰は、わたしたち自身のものではなく、彼ご自身を、信じる要素としてわたしたちの中へ分け与え、わたしたちに代わって信じる方のものです。ですから、彼ご自身がわたしたちの信仰です。わたしたちは、わたしたちの信仰としての彼によって生きます。すなわち、自分自身によってではなく、彼の信仰によって生きます(ガラテヤ2:20)。 信仰の創始者、源として、イエスは信仰の先導者、開拓者、先駆者でもあります。彼は信仰の道を切り開き、先駆者としてそれを開拓されました。ですから、彼はご自分の足跡に従って、わたしたちに信仰の道を歩ませてくださることができます。彼はその生涯において、また地上での歩みにおいて、信仰の創始者となられました。そして栄光において、また天の御座において、信仰の完成者となられました。わたしたちが彼をひたすら見つめる時、彼はご自身が創始し、完成した信仰をわたしたちに伝達し、注入してくださいます。
|