ヘブル  4章12節
4:12 なぜなら、1言は生きていて活動しており、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、2魂と霊、関節と骨髄を切り離すまでに刺し通して、心の3思いと意図を識別することができるからです。
4章12節 フットノート2

聖書によれば、人には三部分―霊と魂と体があります(Iテサロニケ5:23)。この節には、体の一部分である関節と骨髄、そして魂と霊があります。
 これまでの節は、イスラエルの子たちが、良き地の安息に入ることから落ちてしまったことを記述しています。彼らには三つの場所がありました。(1) 彼らが救い出されたエジプト。(2) 彼らがさ迷った荒野。(3) 彼らが入って行ったカナン。この三つの場所における彼らの歴史は、彼らが三つの段階で神の完全な救いにあずかったことを象徴します。これはわたしたち、新約の信者が、神の全き救いにあずかる予表です。第一段階で、わたしたちはキリストを受け入れ、贖われ、この世から救い出されました。第二段階で、わたしたちは主に従うことでさ迷う者となります。わたしたちのさ迷いは、いつも魂の中で起こります。第三段階で、わたしたちは完全にキリストにあずかり、彼を享受します。これは、わたしたちの霊の中での経験です。わたしたちが物質の楽しみや罪の事柄を求める時、エジプトで象徴されるこの世にいます。自分の魂の中をさ迷う時には、荒野にいます。わたしたちの霊の中でキリストを享受する時、カナンにいます。イスラエル人が荒野をさ迷っていた時、いつもつぶやいたり、論争したり、不平を言ったりしていました。これは確かに、彼らの霊の中でではなく、彼らの魂の中で起こりました。しかし、カレブとヨシュアは神の言葉を信じ、主に従い、目標に向かって前進しました。これは確かに、彼らの魂の中でではなく、彼らの霊の中で起こりました。その当時、本書の受取人であるヘブル人信者たちは、古いヘブルの宗教をどうすべきか、さ迷っていました。この思いの中でのさ迷いは、魂の中でのさ迷いであって、霊の中でのキリストの経験ではありませんでした。ですから本書の著者は、神の言葉、すなわち旧約から引用された言葉が、鋭いもろ刃の剣のように彼らのさ迷いを突き通し、彼らの魂と霊を分ける、と言ったのです。骨髄が関節の中に深く隠されているように、霊は魂の深みにあります。骨髄と関節を分けることは、おもに関節を砕くことを要します。同じ原則で、霊と魂を分けるには、魂を砕く必要があります。ヘブル人信者たちの魂と、そのさ迷う思い、神の救いの道についての疑い、自分の利益を考えることは、生きていて活動している、切り離す神の言葉によって、砕かれなければなりませんでした。それは、彼らの霊と魂を分けるためです。
 わたしたちの魂は、わたしたちの自己です(マタイ16:25.比較、ルカ9:25)。主に従う時、わたしたちは自分の魂、自己を否まなければなりません(マタイ16:24ルカ9:23)。わたしたちの霊は最も深い部分であり、神に触れる霊的な器官です(ヨハネ4:24ローマ1:9)。再生されるのは、わたしたちの霊の中でです(ヨハネ3:6)。聖霊が住み、働かれるのは、わたしたちの霊の中でです(ローマ8:16)。わたしたちがキリストと彼の恵みを享受するのは、わたしたちの霊の中でです(IIテモテ4:22ガラテヤ6:18)。ですから本書の著者は、魂にとどまってさ迷ってはならない、魂は否まなければならないものであると、ヘブル人信者たちに勧告したのです。彼らは霊の中へと前進して、天のキリストにあずかり、彼を享受すべきでした。それは、彼らが千年期で、彼が王となられた時に王国の安息にあずかるためです。もし彼らが魂のさ迷いに漂い去るのでしたら、神の目標を見失い、キリストの完全な享受と王国の安息を得損なうでしょう。


JGW日本福音書房 :ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの務めを出版する書房