わたしたちが霊の命を経験する時、常に、一方では、主の行なわれることがあり、もう一方では、わたしたちが主と協力するのを追い求めることがあります。主はわたしたちを円熟にもたらしたいのですが、わたしたちはなおも主と協力して、完成、円熟にもたらされるよう努める必要があります。 主はわたしたちを導きたいのですが、わたしたちは主に導いていただかなければなりません。これは、わたしたちが進んで彼の恵みの働きと協力することです。完成、円熟にもたらされるためには、キリストの達成されたものにあずかり(1:9、3:14)、努め励んで残されている安息日の安息に入り(4:9、11)、恵みの御座に進み出てあわれみを受け、恵みにあずかり(4:16)、固い食物で養われて、メルキゼデクの位によるわたしたちの大祭司としてのキリストを享受する(5:9―10、14)必要があります。
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