ペテロは、「魂の最後の裁きのことを言っているのではない。その意味では、『父はだれをも裁くことはない。彼はすべての裁きを子にゆだねられた』(ヨハネ5:22)。ここで言われている事は、彼の子供たちに執行される、この世における神の行政上の日ごとの裁きである。それゆえにここで、『あなたがたの寄留の時を』と言うのである」(ダービー)。これは、神の家に対する神の裁きです(4:17)。 この二つの手紙は、神の行政と関係があるので、神の裁きと主の裁きが主要な要素の一つとして、繰り返し述べられています(2:23.4:5―6,17.IIペテロ2:3―4,9.3:7)。神の裁きは天使たちから始まり(IIペテロ2:3―4)、旧約では各世代の人を経過しました(IIペテロ2:5―9)。新約時代、裁きは神の家から始まり(17節.2:23.4:6,17)、そして主の日の到来まで継続します(IIペテロ3:10)。それは、千年期の前にはユダヤ人、信者たち、異邦人の裁きの日となるでしょう(参照,IIペテロ3:12のノート3)。千年期の後には、人と悪鬼を含めてすべての死人が裁かれて滅びます(4:5.IIペテロ3:7)、また天と地は燃え尽きます(IIペテロ3:10後半,12)。さまざまな裁きの結果は同じではありません。ある裁きの結果は訓練的な取り扱いであり、あるものは経綸上の懲らしめであり、あるものは永遠の滅びです(参照,IIペテロ2:1のノート5の要点2)。しかしながら、このすべての裁きによって、主なる神は宇宙全体を清掃し、浄化されるでしょう。それは、神が喜びのために、彼の義で満ちた新しい宇宙のために(IIペテロ3:13)、新しい天と新しい地を持たれるためです。
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