アジアは古代ローマ帝国の一つの州であり、その中に、11節(11節)で述べられた七つの都市がありました。七つの召会は七つの都市に一つずつあり、一つの都市に全部あったのではありません。本書は一つの宇宙召会を取り扱うのではなく、多くの都市にある地方召会を取り扱っています。召会は、まずマタイによる福音書第16章18節(マタイ16:18)で宇宙召会が啓示され、マタイによる福音書第18章17節(マタイ18:17)で地方召会が啓示されています。使徒行伝では、召会は地方召会の方法で実行されました。例えば、エルサレムに在る召会(使徒8:1)、アンテオケに在る召会(使徒13:1)、エペソに在る召会(使徒20:17)、シリヤとキリキヤの地域の諸召会(使徒15:41)のようにです。書簡は、幾らかの個人あてに書かれたものを除いて、地方召会に書かれました。宇宙召会に書かれたものは一つもありません。地方召会がなければ、宇宙召会の実際と事実はありません。宇宙召会は、地方召会において実際化されます。召会を宇宙的に知ることは、召会を地方的に知ることによって成就されなければなりません。わたしたちが地方召会を知り、それを実行することは、大きな前進です。召会に関して、啓示録は前進した段階にあります。本書を知るには、宇宙召会の理解から地方召会の認識と実行へと、前進しなければなりません。なぜなら、本書は地方召会に書かれているからです。地方召会にいる人たちだけが、正しい位置にあって、正しい角度と正確な観点で、本書にあるビジョンを見るのです。 三一の神は、キリストにおいて表現されます(ヨハネ1:1,14.Iテモテ3:16.コロサイ2:9)。キリストは、その霊として認識され、経験され(ヨハネ14:16―18.Iコリント15:45.IIコリント3:17.ローマ8:9.ピリピ1:19)、彼のからだ、宇宙召会において表現されます(エペソ1:22―23.Iコリント12:12.エペソ4:4)。そして宇宙召会は、地方召会において表現されます。ですから、神を知り、神を経験するためには、キリストを知り、キリストを経験する必要があります。キリストを知り、キリストを経験するためには、その霊を通して宇宙召会にあずかる必要があります。そして宇宙召会にあずかるためには、地方召会にあずかる必要があります。
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