この節は、命の木を享受することについての約束と考えられます。その命の木は、命のあらゆる豊富を伴うキリストです。また17節(17節)の後半は、命の水を飲むようにとの招きと考えられます。その命の水は命を与える霊です。ですから、この書は一つの約束と一つの招きで終わっています。そのいずれも、命を与える霊としてのすべてを含むキリストを食べること、飲むことに対してです。