本書の啓示はしるしで構成されています(参照,1:1のノート2)。本書の重大な事柄の深遠さのゆえに、人が単に言葉で言うのは難しいです。ですから、これらすべての事柄は、しるしによって象徴され、描写されています。例えば、燭台は召会を象徴し、星は召会の使者たちを象徴します(第1章)。イゼベルは、堕落した淫行のローマ・カトリックを象徴します(第2章後半)。碧玉と宝石は、命と贖う神を象徴します(4:3)。獅子と小羊は、勝利を得て、贖うキリストを象徴します(第5章)。四頭の馬は、福音、戦争、飢きん、死の拡大を象徴します(第6章前半)。宇宙的な女は、すべての世代を通じて神の贖われた者を象徴し、男の子は、神の贖われた者の中で強い勝利者たちを象徴し、龍、蛇は、残酷でこうかつなサタン、悪鬼を象徴します(第12章)。海からの獣は反キリストを象徴し、地からの獣は偽預言者を象徴します(第13章)。収穫は神の栽培の下で成長する人を象徴し、初穂は神の栽培の下で成長する者の間で早く熟した者たちを象徴します(第14章)。大いなるバビロンは、宗教と物質の両面のローマを象徴します(第17章―第18章)。花嫁は、成熟し整えられ、キリストの配偶者となる聖徒たちを象徴します(第19章前半)。このほかにも多くのしるしがあります。最後で最大のしるしが新エルサレムです。これは、あらゆる世代にわたって、神の贖われ、再生され、造り変えられ、栄光化された、すべての聖徒たちの構成を象徴します。それは物質的な、命のない都ではなく、花嫁としての団体的な生けるパースンであり、すばらしいパースン、キリストを夫として持っています(2節)。 新エルサレムは、すべての世代にわたって神に贖われたすべての聖徒から成る、生ける構成体です。それは、キリストの配偶者としての彼の花嫁であり(ヨハネ3:29)、神の住まい、神の幕屋としての神の聖なる都です(3節)。これは、天のエルサレムであり(ヘブル12:22)、神がわたしたちのために備えてくださり、アブラハム、イサク、ヤコブが切望したものです(ヘブル11:10,16)。これはまた上なるエルサレム、わたしたちの母なるエルサレムです(ガラテヤ4:26)。キリストの花嫁としての新エルサレムは、夫であるキリストから出て来て、彼の配偶者となります。それは、エバが夫アダムから出て来て、彼の配偶者になったのと同じです(創2:21―24)。彼女はキリストの命と性質の豊富にあずかることによって整えられます。神の聖なる都として、新エルサレムは、全面的に神へと聖別され、神の聖なる性質で完全に浸透されて、彼の住まいとなります。 旧約と新約の両方で、神は選びの民を配偶者(イザヤ54:6.エレミヤ3:1.エゼキエル16:8.ホセア2:19.IIコリント11:2.エペソ5:31―32)、またご自身の住まいにたとえておられます(出29:45―46.民5:3.エゼキエル43:7,9.詩68:18.Iコリント3:16―17.6:19.IIコリント6:16.Iテモテ3:15)。配偶者は愛における神の満足のためであり、住まいは表現における彼の安息のためです。これらの面はいずれも、新エルサレムにおいて究極的に成就します。彼女において、神は愛における最高の満足と、表現における最高の安息を、永遠にわたって持たれます。
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