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出典

フットノート

マタイ 25:7 注2 文字どおりには、飾った。「自分のともし火を整えた」とは、処女たちが自分の生活上の証しを取り扱うことを象徴します。これは、主の証しのためのわたしたちの生活が、もし死ぬ前に不完全であれば、復活後になおも取り扱われる必要があることを象徴します。
マタイ 25:8 注1 この言葉は、復活後でさえ、愚かな信者たちは、なおも聖霊の充満を必要とすることを意味します。
マタイ 25:8 注2 「消えそうです」とは、愚かな処女たちのともし火はともっており、その中に油があるとはいえ、十分な供給がないことを証明します。愚かな処女は、神の霊で再生され、神の霊が内住してはいますが、それが全存在に浸透するまでに、神の霊で満たされていない信者たちを代表します。
マタイ 25:9 注1 だれも聖霊の充満を、他の人のために持つことはできません。
マタイ 25:9 注2 ここで油を売る者たちとは、大患難の期間に現れる二人の証人、二本のオリブの木、二人の油の子であるに違いありません(啓11:3―4とノート.ゼカリヤ4:11―14)。
マタイ 25:9 注3 「買いなさい」とは、代価を払う必要を示します。聖霊の充満は、この世を放棄すること、自己を取り扱うこと、すべてにまさって主を愛すること、キリストのゆえにすべての事を損失と勘定すること、などの代価によって得られます。もしわたしたちが今日この代価を払わないなら、復活後に払わなければなりません。
マタイ 25:10 注1 これは空中への主の到来であり(Iテサロニケ4:16)、彼の到来(パルーシア)の一部です。
マタイ 25:10 注2 彼らは、小羊の婚姻の婚宴に招かれている人たちであるに違いありません(啓19:9とノート1)。
マタイ 25:10 注3 わたしたちは常に器に油を持ち、全存在が常に神の霊で満たされていることによって、用意しているべきです(24:44)。目を覚まして用意していることは、主の到来(パルーシア)に対するわたしたちの日ごとの実行であるべきです。
マタイ 25:10 注5 これは小羊の婚宴です(啓19:9)。これは主の到来(パルーシア)の期間中、空中で設けられます(Iテサロニケ4:17)。それは王国の出現の前に起こり、用意のできている信者たち、すなわち、死ぬ前に聖霊の充満で装備された人たちに与えられる、主との相互の享受という褒賞となります。
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