出典 |
フットノート |
マタイ 25:10 注4 |
これは、主の到来(パルーシア)が空中に下りて来る時に、復活した信者たちが空中に携え上げられることです(Iテサロニケ4:17)。 |
マタイ 25:10 注6 |
これは救いの戸ではなく、主の婚宴の享受に入る戸です。 |
マタイ 25:11 注1 |
これは、復活した信者たちが主の御前に出る、遅い携え上げです。このように遅くなったのは、彼らに用意ができていなかったからです。 |
マタイ 25:12 注1 |
ここで「知らない」とは、ルカによる福音書第13章25節(ルカ13:25)のように、「承認しない」、「よしとしない」という意味です。愚かな処女たちは、ともし火をともしており、主を迎えに出て行き、死んで、復活させられ、携え上げられました。しかし彼女たちは、代価を払って聖霊に充満されるのが遅かったのです。このために、主は彼女たちが婚宴にあずかることを承認せず、よしとされませんでした。彼女たちはこの経綸上の褒賞を得そこないましたが、救いを永遠に失ったのではありません。 |
マタイ 25:13 注1 |
この言葉は第24章42節(24:42)と同じで、1節から13節(1―13節)が、信者たちの携え上げのために目を覚ましていることについての区分、第24章40節から44節(24:40―44)の完成であることを示しています。第24章40節から44節(24:40―44)は、生存している用意のできた信者たちの携え上げを見せています。第25章1節から13節(25:1―13)は、死んで復活させられた人たちの携え上げを啓示するのに必要です。 |
マタイ 25:14 注1 |
ここのタラントのたとえは、十人の処女のたとえのように、天の王国についてです。 |
マタイ 25:14 注2 |
ここの人はキリストを象徴しています。彼は外国へ、天へ行こうとしておられました。 |
マタイ 25:14 注2 |
ここの人はキリストを象徴しています。彼は外国へ、天へ行こうとしておられました。 |
マタイ 25:14 注3 |
奴隷たちは、奉仕の面から見た信者たちを象徴します(Iコリント7:22―23.IIペテロ1:1.ヤコブ1:1.ローマ1:1)。キリストに対する信者たちの身分は、二つの面から成っています。 命において、彼らはキリストのために生きている処女です。奉仕、働きにおいて、彼らは買い取られて、キリストに仕える奴隷です。 |
マタイ 25:14 注4 |
「自分の財産」は、召会を象徴します(エペソ1:18)。召会は、すべての信者から成る神の家族です(24:45)。 |