出典 |
フットノート |
マタイ 25:20 注1 |
これは、キリストの裁きの座に来ることです。 |
マタイ 25:20 注2 |
ほかに五タラントをもうけることは、五タラントの賜物を十分に用いた結果です。 |
マタイ 25:21 注1 |
「わずかな事柄」は、この時代における主の働きを象徴します。 |
マタイ 25:21 注3 |
「多くの事柄」は、来たるべき王国での責任を象徴します。 |
マタイ 25:21 注2 |
「管理させよう」は、来たるべき王国で治める権威を象徴します。 |
マタイ 25:21 注4 |
「あなたの主人の喜び」は、来たるべき王国での主の享受を象徴します。これは内側の満足であって、外側の地位ではありません。主の喜びにあずかることは、最も大きな褒賞であり、王国での栄光と地位にもまさります。 |
マタイ 25:23 注1 |
これは、主が五タラントの者に与えたのと同じ評価です。 |
マタイ 25:23 注2 |
これは、主が五タラントの者に与えたのと同じ褒賞です。二タラントの者に与えられた賜物は、五タラントの者の賜物よりも小さいのですが、主の評価と褒賞は、いずれに対しても同じでした。このことは、主の評価と褒賞が、わたしたちの働きの大きさや量には関係がなく、彼の賜物を最高に用いることでの忠信さと関係があることを示します。一タラントの者も、もし忠信であったなら、同じ評価と褒賞が与えられていたでしょう。 |
マタイ 25:24 注1 |
その一タラントの者は、少しも主のためにもうけませんでしたが、やはり空中のキリストの裁きの座に来ました。これは、彼が救われているだけでなく、空中に携え上げられていることを証明します。救われていない人はだれも、携え上げられてキリストの裁きの座に来ることはできません。 |
マタイ 25:24 注3 |
表面上、主は厳格さにおいて厳しい方です。彼は、わたしたちが彼の働きのために、彼の賜物を成し得る限り用いることを要求されます。主の働きのために、わたしたちは絶対的である必要があります。 |