出典 |
フットノート |
マタイ 25:40 注4 |
キリストは、使徒行伝第9章4節(使徒9:4)で示されているように、彼の肢体である信者たちと一です。 |
マタイ 25:41 注2 |
火の池は、悪魔とその天使たちのために用意されているのであって、人のためではありません。しかし、もし人が悪魔に従って主に逆らうなら、悪魔と堕落した天使たちと共に火の池で苦しむでしょう。 |
マタイ 25:41 注1 |
火の池の火(啓20:14―15)。「やぎ」は、反キリストと偽預言者たちの後(啓19:20)、悪魔と復活した罪人より前に(啓20:10,15)、火の池で滅びます。これは、啓示録第14章10節(啓14:10)の成就の一部です。 |
マタイ 25:45 注1 |
これも、反キリストの迫害の下で起こります。 |
マタイ 25:46 注1 |
これは火の池で滅びることです(41節)。 |
マタイ 25:46 注2 |
反キリストの迫害の期間、地上に残された信者たちを顧みるために、第13章47節から50節(13:47―50)の網のたとえで例証されているように、永遠の福音が、諸国民に宣べ伝えられます(啓14:6―7とノート)。その後、主は諸国民を裁かれます。それは、モーセの律法やキリストの福音にしたがってではなく、永遠の福音にしたがってです。これは神の経綸の事柄です。その福音に従い、苦しんでいる信者たちを世話した者たちは、祝福され、義人と認められ、王国を受け継ぐでしょう(34節)。しかし、そうしなかった者たちは、のろわれ(41節)、永遠に滅びるでしょう。 |
マタイ 25:46 注3 |
恵みの福音は(使徒20:24)、信者たちの中へ永遠の命をもたらします(ヨハネ3:15―16)。それは、彼らが神の命によって生きるためです。永遠の福音は、「羊」を「永遠の命へ」もたらします。それは、彼らが神の命の領域の中で生きるためです。 |
マタイ 26:2 注1 |
過越はキリストの予表です(Iコリント5:7)。出エジプト記第12章の過越による予表で描写されているように、神がわたしたち罪人を過ぎ越されるために、キリストは神の小羊となられました。その予表の成就のために、過越の小羊としてのキリストは、過越の日に殺されなければなりませんでした。 予表では、過越の小羊は過越の日に先立つ四日間、完全さについて調べられなければなりませんでした(出12:3―6)。キリストは十字架に先立ち、過越の六日前、最後にエルサレムに来られ(ヨハネ12:1)、同じように数日間ユダヤ人の指導者によって調べられました(21:23―22:46)。主には何の傷も見いだされず、完全であり、わたしたちのために過越の小羊となる資格のあることが、証明されました。マルコ第12章37節(マルコ12:37)のノート1を参照。 |
マタイ 26:5 注1 |
最終的に、神の主権の下で、彼らは主イエスを祭りの時に、予表の成就のために殺しました(27:15)。 |
マタイ 26:6 注1 |
らい病の人は罪人を象徴します(8:2とノート1)。シモンは、らい病の人であったのに、主によっていやされていたに違いありません。彼は主に感謝し、主を愛していたので、主と彼の弟子たちのために彼の家で宴席を設けて、主の臨在を享受しました(7節)。救われた罪人はいつもこうします。 |