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出典

フットノート

マタイ 26:8 注1 弟子たちは、主にささげたマリヤの愛を無駄遣いと考えました。過去二十世紀を通じて、幾千幾万の貴重な命、心の宝、高貴な地位、輝かしい前途が、主イエスの上に「無駄遣い」されてきました。そのように主を愛する者たちにとって、主は全く愛らしく、彼らのささげ物にふさわしい方です。彼らが主の上に注いだ物は、無駄遣いではなく、主の甘さの香ばしい証しです。
マタイ 26:11 注1 わたしたちは主を愛して、彼を愛する機会を捕らえなければなりません。
マタイ 26:12 注1 16:21、17:22―23、20:18―19、26:2(16:2117:22―2320:18―1926:2)の言葉によって、マリヤは主の死の啓示を受けました。ですから、彼女は機会を捕らえて、主の上に自分の持っていた最上のものを注ぎ出したのです。わたしたちの最上のものをもって主を愛するには、彼についての啓示を必要とします。
マタイ 26:13 注1 前の節で、主は彼の葬りについて語られました。それは、わたしたちの贖いのために達成された彼の死と復活を意味しています。ですから、この節で、主は福音を「この福音」と呼ばれ、彼の死、葬り、復活の福音に言及されたのです(Iコリント15:1―4)。
マタイ 26:13 注2 福音の物語は、主がわたしたちを愛してくださったということです。そしてマリヤの物語は、彼女が主を愛したということです。わたしたちは、主がわたしたちを愛してくださることと、わたしたちが主を愛することを、宣べ伝えなければなりません。一つは、わたしたちの救いのためであり、もう一つは、わたしたちの献身のためです。
マタイ 26:14 注1 「その時」とは、弟子たちの一人が主に対する彼女の愛を極みまで表したのに、別の者は彼を裏切ろうとしていたことを示します。一人は主を尊んでいました。ところが同時に、他の者は彼を引き渡そうとしていました。
マタイ 26:15 注1 すなわち、銀三十シケル、奴隷一人の値段(出21:32)。
マタイ 26:17 注1 種なしパンの祭りは七日間の祭りです(レビ23:6)。それはまた過越とも呼ばれます(ルカ22:1マルコ14:1)。事実上、過越の祭りは、種なしパンの祭りの最初の日でした(出12:6,11,15―20レビ23:5)。
マタイ 26:25 注1 主はユダ自身の言葉に、彼を罪定めさせました。
マタイ 26:26 注1 主と弟子たちは、まず過越を食べました(20―25節ルカ22:14―18)。それから主はパンと杯とで彼の食卓を設立し(26―28節ルカ22:19―20Iコリント11:23―26)、過越の食卓に置き換えられました。なぜなら、彼はその予表を成就し、わたしたちにとって実際の過越になろうとしておられたからです(Iコリント5:7)。今やわたしたちは、種なしパンの実際の祭りを守っているのです(17節Iコリント5:8)。
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