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出典

フットノート

マルコ 1:12 注1 神が受け入れ、油塗った後、その霊がこの神の奴隷に対して行なった最初の事は、彼をテストして、彼が完全無欠であることを証明することでした。
マルコ 1:13 注1 試練と苦難の期間(申9:9,18列王上19:8)。
マルコ 1:13 注2 神の敵サタンは、神の奴隷をテストし証明するために用いられました。消極的な意味では野の獣が、積極的な意味では天の御使いたちが、この試練のために用いられました。
マルコ 1:14 注1 ヨハネが投獄されたことは、とりわけ誉れある地方で、福音が拒絶されたことのしるしでした。ですから、奴隷―救い主はその地方を去って、彼の福音の奉仕のために、さげすまれた地方へ戻られました。マタイ第4章12節(マタイ4:12)のノート1と15節(マタイ4:15)のノート1を参照。
 福音の奉仕は、奴隷―救い主の先駆者であるバプテスマのヨハネの務めによって、誉れある地方であるユダヤで開始されましたが(1―11節)、奴隷―救い主の務めによって約三年間、さげすまれた地方であるガリラヤで継続されました(1:14―9:50)。それは、ヨハネが彼の福音書で記録しているとおりです(ヨハネ1:29―422:13―3:365:1―477:10―11:57)。マルコは、この期間の奴隷―救い主のエルサレムとユダヤでの務めについては、何も述べていません。マルコは、ただ、主が彼の贖いの働きを成就するためにガリラヤを去って、最終的にエルサレムに向かわれるまでのこと(10:1)を、記録しているだけです。その後、福音の奉仕は、エルサレムへの途上、エルサレムの中、その近郊での主の務めによって継続されました(10:1―14:42)。そして、彼の贖いの死、命を分与する復活、高く上げられる昇天、彼の弟子たちがすべての被造物に宣べ伝えて遂行した彼の福音の奉仕の継続で、結ばれています(14:43―16:20)。
マルコ 1:14 注3 幾つかの写本は、神の王国の福音、となっています。イエス・キリストの福音は(1節)、神の福音であり(ローマ1:1)、神の王国の福音です(参照,マタイ4:23)。
マルコ 1:14 注2 奴隷―救い主の宣べ伝えは、神の喜ばしいおとずれを、束縛されているみじめな人々に告げ知らせることでした。彼の教え(21―22節)は、暗やみの中にいる無知な者たちを、真理の神聖な光で照らすことでした。彼の宣べ伝えは教えを意味し、彼の教えは宣べ伝えを意味しました(マタイ4:23)。宣べ伝えと教えは、彼がその務めにおいて行なわれた最初の事です。それは、彼の福音の奉仕のすべてを網羅します(38―39節3:146:1214:916:15,20)。
マルコ 1:15 注1 神の王国は、すべての祝福と享受を伴う神の支配、統治です。それは神の福音の、またイエス・キリストの福音の目標です(参照,4:3のノート2と4:26のノート3)。この王国に入るために、人は自分の罪を悔い改め、そして福音を信じる必要があります。悔い改めることによって、彼らの罪は赦され、神によって再生され、神聖な命を持ちます。その神聖な命だけが、この王国の神聖な性質にふさわしいのです(ヨハネ3:3,5)。キリストにあるすべての信者は、召会時代に王国にあずかり、彼の義、平和、聖霊の中の喜びにおいて(ローマ14:17)、神を享受することができます。この王国は、勝利を得る信者たちが、来たるべき王国時代に相続し享受するキリストの王国、神の王国となります(Iコリント6:9―10ガラテヤ5:21エペソ5:5)。それは、彼らが千年間キリストと共に支配するためです(啓20:4,6)。それは永遠の王国として、神の贖われた人たちすべてが、永遠にわたって新天新地において享受する、神の永遠の命の永遠の祝福となります(啓21:1―422:1―5,14,17)。このような神の王国は近づいており、奴隷―救い主の福音は、信者たちをその中にもたらします。この王国のために、奴隷―救い主は、人々に悔い改めて福音を信じるようにと告げられました。ヨハネ第3章3節(ヨハネ3:3)のノート3、ヘブル第12章28節(ヘブル12:28)のノート1、マタイ第5章3節(マタイ5:3)のノート4を参照。
マルコ 1:15 注2 ギリシャ語は、「思いを変える」を意味します。悔い改めるとは、思いを変えることであり、それは過去に対する悔いと、将来に向かうための転機を伴っています。消極面で、神の御前に悔い改めるとは、罪や誤った行ないを悔い改めるだけでなく、この世とこの世の腐敗(この世とこの世の腐敗は、神がご自身のために造られた人々を横領し、腐敗させてしまいます)や、過去わたしたちが神を捨てて生活してきたのを、悔い改めることです。積極面で、悔い改めるとは、神が人を造られた目的を成就するために、あらゆる方法で、またあらゆる事で、神に立ち返ることです。それは「神への悔い改め」であり、「悔い改めて神に立ち返る」ことです(使徒20:2126:20)。マタイ第3章2節(マタイ3:2)のノート1と2を参照。
マルコ 1:15 注4 これは神の子、イエス・キリストの福音(1節)、神の福音、神の王国の福音です。神の子、イエス・キリストご自身、彼が経られたすべての手順(受肉、十字架、復活、昇天など)、彼が完成されたすべての贖いのみわざが、福音の内容です(ローマ1:2―4ルカ2:10―11Iコリント15:1―4IIテモテ2:8)。ですから、福音はイエス・キリストの福音です。福音は、神によって計画され、約束され、完成されました(エペソ1:8―9使徒2:23ローマ1:2IIコリント5:21使徒3:15)。この福音は、すべての信者を救いに至らせる神の力です(ローマ1:16)。それは、信者たちが神に和解させられ(IIコリント5:19)、神によって再生され(Iペテロ1:3)、神の子供たちとなって(ヨハネ1:12―13ローマ8:16)、彼らの嗣業として神の豊富と祝福すべてを享受するためです(エペソ1:14)。ですから、それは神の福音です。福音はまた、信者たちを神聖な支配の領域へもたらし、彼らが神聖な王国の中で(Iテサロニケ2:12)、神聖な命の祝福にあずかるようにします。ですから、それは神の王国の福音でもあります。こういうわけで、福音の内容全体は、すべての遺産を伴う新約の内容と同じです。わたしたちはこの福音を信じる時、三一の神を永遠の分け前として、彼の贖い、彼の救い、彼の神聖な命とその豊富と共に、受け継ぐのです。
マルコ 1:15 注3 悔い改めは、おもに思いで起こり、信じることは、おもに心で起こります(ローマ10:9)。信じるとは、わたしたちが信じる事柄の中へと信じること、またわたしたちが信じる事柄を自分の中へ受け入れることです。福音を信じるとは、おもに奴隷―救い主を信じることであり(使徒16:31)、彼を信じるとは、彼の中へと信じ(ヨハネ3:15―16)、彼をわたしたちの中へ受け入れることです(ヨハネ1:12)。それは、わたしたちが彼と有機的に結合されるためです。キリストにあるそのような信仰は(ガラテヤ3:22)、わたしたちが福音の真理の言葉を聞くことを通して(ローマ10:17エペソ1:13)、神によって与えられます。この信仰は、わたしたちを福音のすべての祝福へもたらします(ガラテヤ3:14)。ですから、それはわたしたちにとって尊い信仰です(IIペテロ1:1)。そのような尊い信仰を得るためには、まず悔い改めなければなりません。第16章16節(16:16)のノート1を参照。
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